まやたろの体当たりチャリンコ日記

まやたろの体当たりチャリンコ日記

東京銀座のOL→山梨で農業と狩猟をはじめる→2016北米&南米自転車縦断→2017夏全国キャラバン!

日本人移住地 ピラポ編

パラグアイに来るまではイグアス移住区しか知らなかったのだが、実は日本人移住地はあちこちにあるらしい。その中でも一番日系人の人口が多いのがピラポ移住地である。

 

到着早々、協力隊のCさんの紹介で、竹林を持っているというNさんのお宅を訪問した。屋根の下に木造の家があるという不思議な造り。実はここに農機具小屋を建てようとして屋根を建てたのだが、開拓当初に建てられた家は文化遺産級に貴重なものだから壊さないでくれ、と頼まれてこのような形になったというのだ。

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開拓一世として50年ほど前にご両親に連れて来られたオヤジさん。原始林を伐り開き、家を建て、今も米と野菜はほぼ自給自足。

 

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2町歩の田んぼはすべて手植えで、刈り取ってからはざかけ。
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巷で話題のモリンガも!
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ちっちゃい唐辛子とか
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青じそ赤じそ
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ヘチマ!!
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ドラゴンフルーツってサボテンの実だったのねー

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放っておくとこんな風に木に巻きつく
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葉物もたくさん
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しいたけまで!
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裏庭には孟宗竹の竹林が。
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そしてこのあと案内してくれたお知り合いのOさんの竹林は、パラグアイで探し続けた真竹の竹林だった。

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実はパラグアイに来てからずっと真竹を探し求めていたのだが、アレグアでもイグアスでも見つけることはできず、半ば諦めていたところだったので、喜びもひとしお。

 

Oさんに聞くと、数十年前にブラジルから持って来た根っこを植えたのが、今ではこんなに立派な竹林になったそうな。昔はここから数十キロ離れたラパスという移住区で竹細工をしていたおじいさんもいたようで、Oさん宅にはその方が作った立派なざるがあった。しばらく使っていないので少しカビが生えていたが、しっかりとした作りだ。

 

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せっかくだから何か竹細工を習いたい!ワークショップやってほしい!と盛り上がっているうちに、話はトントン拍子に進み、2日後に地元の方々を対象にワークショップをすることになった。

それから我々はひたすら黙々とひごとりをし続ける。結局その日はNさん宅で夕飯をごちそうになり、翌日もごはんをごちそうになった挙句、パラグアイに来てはじめてのお風呂もいただき、泊まらせていただくことになった。なんたるホスピタリティ。

 

作業の合間には息子さんと遊ぶ。

竹で作ったボウリングとわなげ。

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食卓には採れたての野菜やごはんが並ぶ。最高のごちそうだ。

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そして迎えたワークショップ当日。前日の告知だったにも関わらず、次々と人がやってきて、あっというまに40人近くに。

 

四海波という簡単なカゴを作るグループと指輪を作るグループの二手に分かれた。

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地元の人もびっくりするほどの大盛況に

終わった。

 

ここピラポにはいわゆる「日本人宿」はないため、今回は町の中に2つしかない民宿のうちのひとつ、Los Inmigrantesを紹介してもらった。

オーナーのサダさんはパラグアイ人だが、5歳の時から日本語学校に通っているために日本語がペラペラ。娘のマリアちゃんも同様にペラペラ。二人とも彫りの深い美人さんなのに流暢な日本語を話すので、そのギャップがなんとも面白い。

サダさんもワークショップに来てくれた。日系人の中で、唯一のパラグアイ人だった。

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その日の夜はサダさんファミリーにアサードをごちそうになった。

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自動回転するパラグアイのアサード台

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肉肉肉

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タケノコのピクルス!
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ここはレストランもやっていて、評判通りとてもおいしい。

中でもソパというパラグアイ料理は、今までもあちこちで食べていたが、サダのお義母さんの作るソパはだんとつナンバーワンだった。

 

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デザートの手作りアルファフォレスも絶妙な甘さでいくらでも食べられそうだった。
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アサードのあとは今回お世話になったCさんとサダさんと3人で夜遅くまで白熱した議論が続いた。

 

ひとつはピラポのこれからについて。

「ピラポの人には外の人を呼ぼうという気が全くないのよ。だから観光客にわかりやすいように地図を作ることもなければ、大きなお祭りも全て地域の人たちでお金を出し合って運営しているのよ。もっと外の人にお金を落としてもらえばいいのに。」

それは裏を返せば街の中だけで経済が回っているということ。お米も野菜もすべて地域の中で自給できてしまうから、わざわざ外から買ってくる必要がない。今世界各地で「地産地消」を謳い、それを促すために「地域通貨」などの仕組みが導入されていたりするわけだが、ここではすでにそれが成り立ってしまっているというのだから、それはそれですごいことだと思う。

だがそれでは発展していかないと感じているサダさん。だからここに宿を作って、もっといろんな人にこの場所を知ってほしいという。

 

ふたつめは日系人パラグアイ人の関わりについて。

日本人はとかく日本人同士で集まるのが好きだ。それは日本という島国気質によるものなのかもしれないし、異国の地において自分たちの文化やつながりを守る上で必要なことだったのだろう。でも「守る」ということは時として「排除する」ことにもつながるのだと感じた。パラグアイ人の人件費は非常に安く、彼らは「人夫」として日系人に雇われている。わたしにはどうもその「人夫」という呼び方がなんとなくパラグアイ人のことを下に見ているように思えて、ずっと気になっていた。それを話すと、2人も同じように考えているようだった。

パラグアイ人はすぐにゴミをポイ捨てする、時間に遅れる、約束を守らない、などとよく言われるけど、きちんとしているパラグアイ人もいるし、逆にわたしのようにだらしない日本人もいる。だから本当は〇〇人だからとかではなくて、個々人の問題なんだけど、私たちはついなんでもカテゴライズしてしまう。そういったイメージからもパラグアイ人を下に見る傾向ができてしまうのかもしれない。

 

日系人は野球だとかソフトボールだとか日本人会の集まりだとか、とにかく日系社会の行事ごとに忙しすぎて、何か誘っても断られてしまうの。日本人会のイベントにはわたしたちパラグアイ人は参加できないし、わたしはもっと日本の文化を知って日系人と交流したいけど、とても大きな壁を感じるの。」と寂しそうに言うサダさん。

今回は急だったこともあって仕方なかったけれど、本当のことを言うとわたしもワークショップには日系人だけでなくパラグアイ人も一緒に参加してくれたらいいのにと思っていた。そんな中、サダさんが唯一のパラグアイ人として参加してくれて、わたしはとても嬉しかった。でもサダさん自身はすごく恥ずかしかったらしい。

せっかくパラグアイにいるのだから、もっと彼らと話したいし、彼らのことを知りたいと思った。だがそれはなかなか難しいようだ。Cさんもその点はかなり苦労しているらしい。

パラグアイ人と日系人の間の垣根がとっぱらわれたら、もっと新しくて面白いものが生み出されていくような気がする。

 

サダさんがやっているレストランと民宿、とってもおすすめです。

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Los Inmigrantes Posada y Restaurant
パラグアイ ピラポ
+595 768 245 302
https://goo.gl/maps/V9DzsYKNeCx

 

日本人移住地めぐり イグアス編

公園には鳥居があり、スーパーに行けば納豆や味噌があり、ラーメン屋やスナックがあり、日本語が飛び交う。写真だけ見ればまさかここがパラグアイだとは思わないだろう。

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ブラジルとの国境から40kmにあるイグアス移住区。50年ほど前にジャングルを切り拓いて作ったこの場所は、南米で一番新しい移住地で、現在は人口の約8%にあたる800人近くの日系人が住んでいる。

 


ここで生まれ育った日系人は日本語、スペイン語はもちろん、ポルトガル語、そして先住民の言葉であるグアラニー語の4カ国語を操る人までいる。バイリンガルどころの騒ぎではない。お世話になっているオサムさんもそのひとり。

早速オサムさんに案内していただいて近所の方のお宅に竹伐りに。

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オサムさんに教えてもらったウェンベという植物。先住民の人たちはこの蔓や根の表皮を剥いで、竹かごに編み込むらしい。
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これが先住民の作る竹かご。茶色いのがウェンベ。

 

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こちらの竹は株立ちしているバンブー系のものがほとんど。

竹を伐らせてもらうついでにたけのこもいただく。
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アク抜きしてからサラダに。酢とオレガノと塩胡椒でサラダに。味は日本のタケノコと同様にとっても美味。
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サボテンってこんなに大きくなるのね。これで40年らしい。

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アボカドが食べ放題!
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見たことのない果物も!!

 

 オウムがかわいすぎた。

 

2週間お世話になったお礼に洗濯カゴなどを作る。

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オサムさんの紹介でデイサービスにきていた奥様方と竹細工をした。90歳近くになる方もいると聞いて、できるかどうか心配だったが、それは杞憂におわり、ジャングルを切り拓いてきたみなさんとっても元気で積極的なツワモノ揃いでした。

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パラグアイには今も8000人ほどの日系人が住んでいる。

最初の移民がパラグアイにやってきたのは1936年。戦後にはアジアからの引き上げ者や復員軍人など1000万人超の余剰人口を抱えた日本は、本格的な海外移住政策をとり、1959年にパラグアイとの間に移民協定を結び、以後30年間に日本から8万5千人の移民を受け入れることが決まった。(この協定は今も有効であるため、日本人ならほぼ誰でも永住権を取得できる。)

二国間関係 - 移住史 : 在パラグアイ日本国大使館

 

今のようにインターネットもなく、情報も入ってこなかった時代。手狭な日本を出て“マッチ一本で(原始林を焼き払えば)いくらでも農地が手に入る”という謳い文句に乗せられて、夢や希望を抱いてやってきた移民たち。

 

わたしは飛行機で、しかもたった一年旅に出るだけでも夜も眠れないぐらい不安に襲われたのに、二度と会えなくなるかもしれない家族の元を離れ、まだ見ぬ新天地に約3ヶ月もかけて船で移住してきた人たちは、一体どんな想いだったのだろう。

 

実際に彼らを待っていたのは、原始林を斧や大鋸で切り倒す過酷な開拓作業。

資料館には当時の様子がわかる写真や日本から持ってきた道具などが展示されている。

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竹細工の合間にも開拓当時のお話をお聞きした。

「お父さんと弟が大きなのこぎりで丸太から板をひいて、それで家を建てたのよ。わたしはマチェッテで小さい木を切り倒して、トウモロコシやマンディオカを育てたわ。移動には馬を使っていたのよ。」

ジャガーとかワニとかカピバラとか、食べられるものはなんでも食べたよ。」

と一世の人たちは振り返る。きっと当時は大変だったのだろうけど、懐かしそうに振り返るその表情は、苦労を乗り越えたあとの喜びと誇りに満ちていた。

 

家では日本語を話し、日本語の学校を創り、毎週のように野球やサッカーなど、日系人の大会が行われる。味噌、豆腐、漬物、梅干しなど、なんでも自分たちで作る(というよりもそうしなければ手に入らないから作らざるをえない)。

 

日本に住む日本人以上に日本の文化、そして日系人同士のつながりを大事にしている。それは過酷な環境を乗り越え、日本人としてのアイデンティティを守っていく上で必然だったのだろう。 日本人はどこへ行っても日本人なのだと思うのであった。

ニャンドゥティの町、イタグア

「ニャンドゥティ」というパラグアイのレース編みをご存知だろうか。

先住民の言葉であるグアラニー語で「蜘蛛の巣」の意味を持つニャンドゥティ。近年は日本でも紹介され俄かに人気となっている。

 

matome.naver.jp

 

もともとスペインから伝えられた時は白一色だったが、その後草木染めでいろんな色に染められ、今では化学染料で色とりどりに染められた糸が使われている。

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イタグアの街に降り立ち、通りを歩くとニャンドゥティのお店がちらほら。

すべてニャンドゥティでできたドレスは、パラグアイの伝統的なボトルダンスやアルパの演奏時に使われるらしい。

 


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つづいてIさんの紹介でクリスティーナさんというニャンドゥティのベテランの方のお宅へ向かった。

パラグアイに来てはじめて馬車を見かける。

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そろそろこの辺かなー、と思いながら歩いていたら一人の女性に話しかけられる。

「Hola!どこへ行くの?」

「あ、クリスティーナさんのお宅へ。」

「わたしがクリスティーナよ。」

ちょうどクリスティーナさんはお出かけするところだったが、私たちを連れて再び家に戻ってくれた。

そして次から次へとニャンドゥティの作品を引っ張り出して来てくれて、あっというまに机の上はお花畑に。

 

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奥からクリスティーナさんのお母さんのシンドゥルファさんも出て来た。シンドゥルファさんは国からも表彰されるほどの腕の持ち主で、90歳を超えた今も現役のニャンドゥティ作家。ミシン糸のような細い糸を使って繊細かつ洗練されたニャンドゥティを作られる。

あまりにも美しい手仕事。ニャンドゥティを俄かにではあるがはじめたからこそ、これがどれだけの手間ひまがかけられているのかがよくわかる。いくつか見せていただくつもりが、あれもほしい、これもほしいとなって気づけばたくさん買っていた。

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私たちは日本で竹細工をしているんです、と言っていくつか竹製品を見せた。

小さな四海波を見せたら、シンドゥルファさんが「キャッキャッキャッ」とまるで少女のように笑った。その様子があまりにもかわいらしくて、そのかごをプレゼントしたら、嬉しそうにしてくれた。

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クリスティーナさんは用事があるというので、娘のマリアさんが相手をしてくれた。

「あなたもやるの?」と聞くと、

「わたしは嫌いよ。だって大変な仕事だもの。」とマリアさん

実際にお母さんやおばあちゃんがやっているのを目の当たりにしているからこそ、その労苦もわかるのだろう。そうは言ってもこれだけ美しい技術が途絶えてしまうのはなんとももったいない気がする。

わたしに教えてくれている先生も言っていたが、ニャンドゥティはこちらの若者にはぜんぜん人気がないらしく、やっているのはおばあちゃんばかり。どこの国でもそうだが、こうした伝統工芸だけで食べて行くのは難しいし、何よりも手間暇がかかる地味な仕事をやりたがる若者は少ないのだ。

 

わたしもせっかくなので本場のニャンドゥティを習いたいと思い、いろんな糸と刺繍枠、布などの道具を揃えた。

 

今回は滞在中にイタグア出身の近所のセニョーラに毎日マンツーマンレッスンをしてもらった。 

まずは布に図案を描き、それに沿って縦糸を張っていく。

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ニャンドゥティの技法は基本的に二つだけ。

上下上下、と交互に縦糸を拾って行くもの。

そして一本一本の縦糸に編み糸を結びつけて行くもの。

たった二つの技法だけど、その組み合わせや配色の違いによって、あれだけさまざまなモチーフを作り上げている。そのシンプルさと奥深さがなんとも面白い。

 

モチーフが出来上がったら、糊付けをする。

使うのはマンディオカというこちらで主食として食べられる芋のデンプン粉。

(マンディオカはアフリカではキャッサバ、アジアではタピオカと呼ばれるがすべて同じもの。)

これを水に溶いたデンプンのりにしてモチーフの両面によくすりこんでから乾かす。

 


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乾いたら布から外して出来上がり!

糊付けすることで布から外しても形が崩れないのだ。おもしろい。

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今や本場パラグアイよりも、むしろ日本の若い人たちの間で人気が出ているニャンドゥティ。素敵な作家さんたちもたくさん出て来ている。

#ニャンドゥティ で検索するとすごい数の作家さん達がいる。

 

パラグアイでもニャンドゥティの魅力に気づく若い世代がもっと増えて、こうした文化や技術を継承していけるような仕組みができればいいなと切に想う。

アレグアの愉快な仲間たち

アスンシオンから車で1時間ちょっと離れたアレグアという街。ここはいちごの産地として有名で、シーズンになると道路いっぱいに並んだ露店を目当てに大渋滞が起きるという。

 

そんなアレグアの郊外に住んでいるIさんのお宅を尋ねた。Iさんは98歳になるお母さんと90歳のおばさんの介護をするために、数年前にパラグアイに移住した。
「施設に預けるのは嫌だし、だからと言ってホームヘルパーを日本で雇ったらえらいことになるでしょ。でもパラグアイなら住み込みで人を雇っても月2−3万円だから。本当によかったわ。」という。

だんなさんのお仕事の関係で、中国、タイ、マレーシア、などいろんな国に住んだことがあるから、海外生活に慣れているとはいえ、それにしても行ったこともないはるか遠くの国に、高齢のお母さんたちを連れてひょいっと移住してしまうとは、すごい決断力と行動力だなあと思う。

 

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日本人移住者の多くは日本人移住区に住むことが多いが、この辺りにはIさん以外の日本人は誰もいない。その分パラグアイ人の知人友人がたくさんいて、「竹がほしい」「ニャンドゥティを習いたい」というわたしたちのお願いに応えてすぐに周りの人に聞いてくれた。おかげでその日のうちに竹をもらえるところも、ニャンドゥティそ教えてくれる先生も見つかり、我々は家にひきこもって竹細工とニャンドゥティに明け暮れた。


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ニャンドゥティというのはパラグアイの伝統的なレース編み。詳しくはまた後日書きましょう。
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ここの人たちはみんな気さくで暖かく、居心地が良かった。Iさんおすすめの近所のロミート(ステーキバーガー)やハンバーガーもおいしかった。f:id:mayataro811:20190308021805j:image

 

Iさんのお宅のすぐ近くにお友達が建てた家があり、まだ空き家だからと滞在させてもらった。その家の隣にはIさんが建築中のドーム型のペンションがあり、そこの大工さんであるウーゴとも仲良くなった。

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ある日Iさんのお宅に呼ばれてアサード(パラグアイ流のバーベキュー)をごちそうになっていると、ウーゴがこの近くにあるというアートの学校について教えてくれた。

 

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そこは土や竹、ガラス瓶やペットボトルの蓋など、自然素材と廃材だけでできた建物が立ち並ぶカルチャーセンター。誰でも自由に学べて、お金もかからない。そこにウーゴが立てたドーム第一号もあるという。

「なるべく自然の素材や捨てられてしまうもので建物を作りたいんだ」という彼。
わたしはパラグアイに来てから度々ゴミについて気になっていた。焼却炉もないので、燃えるゴミも不燃物もビンもペットボトルも全て一緒くたになって郊外に埋められており、臭いや汚染が深刻だという。アスンシオンの町を歩いていてもみんな平気でポイ捨てをするし、どこもかしこもゴミだらけ。だから彼からこの話を聞いただけですごくうれしくなった。
「今日はちょうどminga(みんなで掃除などの作業をする日)だからたくさん人がいると思うよ。」
というので、すぐに行ってみることにした。

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到着するなり出迎えてくれたのは日系3世のケニアさん。祖父母は宮城から移住してきたそうで、日本語も少し話せた。

ウーゴの作ったドームの中は図書館になっていて、みんなが本をきれいにする作業をしていた。わたしも少しお手伝い。

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El Cantaro というのは水瓶のこと。もともと陶器の町だったここアレグアでは昔はCantaroの生産が盛んだったが、使う人がいなくなった今は生産もされていない。

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土や竹、ガラス瓶が使われた建物。
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かわいらしいベンチ。これもモザイクアートかと思いきや、
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よくみるとペットボトルや瓶のふた!
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作業中だったはずなのにKeniaが学校のすみずみまで案内してくれた。狭い敷地の中に建物や畑が所狭しと並んでいる。

そして目に付いたのは後ろの竹林。彼女に聞くと、すぐに持ち主と交渉してくれて一本伐らせてもらった。

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黄色くて、ところどころ緑の縦筋が入った竹。アルゼンチンやメキシコでも同じようなのを見かけた。


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お礼にとその場でかごや指輪を作ってプレゼントすると、ぞろぞろと人が集まってきて、「次は是非この場所で子供達に教えてあげて!」との嬉しいお誘いもいただいた。

 

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実はこのアート学校を運営しているグスターボ夫妻は手工芸品を取り扱うお店もやっている。

後日、作った竹細工を持って再度グスターボたちを訪ねた。

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工芸の町でもあるアレグアにはいろんな職人がいて、かつては陶器の街として知られていた。今も土産物屋には陶器が並んでいるが、若い人たちはほとんど興味を示さないという。

「このお店や学校の趣旨は、子供たちや若者にアートに触れてもらうことを通して、それに価値を見出してもらうこと。プラスチックにアイデンティティや文化は継承できない。手仕事にこそアイデンティティが宿っている。」という彼と意気投合した。

4月の帰国直前に、またここに戻ってきてワークショップをすることになりそう。

どんな展開になるか楽しみである。

 

アレグアは、気候も人も心地よくて素敵な町でした。

パラグアイのスタンプラリー【永住権申請の仕方】

 

ニューヨーク、チリのサンティアゴで2回の乗り継ぎを経て43時間かけてパラグアイの首都・アスンシオンに降り立った。

真冬の日本から真夏のパラグアイへ。昼夜も季節も真逆な、地球の反対側はさすがに遠かった。

 

空港を出るとモワッとした熱気に包まれる。暑い。とにかく暑い。何もしなくても汗が吹き出て来る。去年の夏をニュージーランドで過ごした私にとっては実に2年ぶりの夏だ。

 

バスに乗って今日からしばらくお世話になる日本人宿、「民宿らぱちょ」さんに向かう。オーナーのゆきこさんとは日本を出る前から永住権申請やパラグアイの情報を事細かく教えていただいていた。 

そしてらぱちょには友人のちえちゃんも泊まっていた。ちえちゃんとはわたしが南米をチャリ旅していたときに、チリの日本人宿で出会ったのだが、その後パラグアイ人の彼氏ができて昨年の10月に永住権を申請したばかり。ちょうどそろそろ永住権ができる頃なので移民局に取りに行くというので、わたしたちが来るのに合わせてアスンシオンに来ていた。

arasa-kyabajyo.net

↑彼女のブログには永住権申請方法についてかなり詳しく書いてあるので大いに参考になりました。

 

翌日、ちえちゃんと一緒に移民局へ。右も左も分からないわたしたちにとっては心強い。だが、できあがっているはずの彼女の永住権は残念ながら写真が足りなかった(なくした?)とかであと1、2ヶ月かかるという。

「完全に向こうのミスなのになんのフォローもないところがパラグアイらしいわー」

と嘆くちえちゃん。パラグアイではよくあることらしい。

 

世界一簡単と言われるパラグアイの永住権申請だけれど、実際にやってみて思ったのは思った以上に時間も手間も取られるし、多少お金もかかるし、自力でやるなら日常会話程度のスペイン語はできないと難しいと思う。

アスンシオンのバスがめちゃくちゃわかりづらくて、10年近く住んでいるゆきこさんですら全てのバスは把握できていないらしい。路線図がない上に、複数の会社が運行していて同じ番号のバスでも行き先が違うこともあり、もうわけのわからないことになっている。

土地勘がなく、バスもよくわからない我々は、40度前後の猛暑の中を毎日10km以上歩きまわり、さながらスタンプラリーのようであった。

今回は事前にゆきこさんやちえちゃんから情報を聞いていたこともあって、割とスムーズにできたが、それでも一週間(土日はどこの役所も閉まっているので実質は5日間)かかった。先述のちえちゃんのブログにかなり詳しく書いてあるので、わたしが書くまでもないかなとも思ったけど、すでに当時と状況が変わっていたり、応対する人によって言うことが違ったりするので、興味があれば参考程度に読んでみてください。

 

 永住権申請方法

必要な書類

  1、2は日本から持参。

パラグアイからも取り寄せられるが3ヶ月ぐらいかかるらしい)

3−8はパラグアイでする作業。

1.日本の戸籍謄本

・本籍のある市町村の役場で発行してもらう(我々は謄本を持って行ったが1人の場合は抄本でOKらしい。その方が後述するコピーやエスクリバニアの枚数も少ないので安く済む)

必要な書類;身分証明書

(同一世帯であれば本人以外でも取得可能。実家の母に頼んで郵送してもらった)

費用;300円

 

2.日本の無犯罪証明書

・住民票のある都道府県警の鑑識課で発行してもらう

都道府県によっては受け付けてくれない場合もあるので事前に電話で確認したほうがいい。大分県は問題なく対応してくれた。)

・両手の指紋をすべて取るので本人がいなければいけない

必要な書類

申請書(在日パラグアイ大使館のページより。実際に使われるものとは違うが、書ける範囲で記入して持って行く)
・無犯罪証明書が必要である根拠を示す書類

移民局のページの該当部分をコピーして持って行った)

・パスポート

費用;1,000円ぐらい(だったような)

※1週間後に出来上がるのでまた直接取りに行く

(受け取りは委任状があれば本人以外でも可)

 

 1、2併せて外務省でアポスティーユしてもらう。(これをしてないと使えない)

郵送だと10−14日かかるが、直接持参すれば翌日に受け取れる。

 

 

そしてここからがいよいよスタンプラリー本番。これだけの場所を周ります。ゴールは移民局です。(必要な書類ごとに色分けしています)

 

TRADUCTORA日本から持ってきた書類を翻訳してもらう

翻訳してもらう書類

・パスポート顔写真(コピー)

・戸籍謄本

・日本の無犯罪証明書 

費用;翻訳 700,000Gs(2人分)

※2日後に受け取り

移民局向かいのエスクリバニアに併設されている翻訳やさんにお願いした。

 

3. パラグアイ法令遵守誓約書

費用;150,000Gs

法令遵守誓約書はどこのエスクリバニアでも作れるが、翻訳を頼むついでに作ってもらおうとしたところ、はじめ2人で500,000Gs(1人あたり250,000Gs)とふっかけられたが、他ではもっと安かったと言ったらその金額にしてくれた。

 

 

4. 外国人用無犯罪証明書(インターポール)

②書類をコピーし、エスクリバニアで※真贋証明(AUTENTICADO)してもらう

コピー&認証してもらう書類
・パスポート顔写真&入国スタンプのページ各3枚(この後も使うので多めに)

・証明写真を持参していない場合はコピー屋さんでついでに撮ってもらう

費用;コピー500Gs /枚、エスクリバニア2,000Gs /枚、証明写真15,000Gs

※真贋証明(AUTENTICADO)とは 公証人(Escribania)でそのコピーが本物と認証してもらうこと 公証人によって値段は一枚2,000Gs~5,000Gs程度 移民局前は高いので1ブロック離れたIturbe通りにあるところがおすすめ(となりにコピー屋さんもあるので便利)

 

インターポール外国人無犯罪証明書を発行してもらう

必要な書類

エスクリバニア済みのパスポート顔写真ページのコピー

エスクリバニア済みのパスポート入国スタンプページのコピー(ビザ代わり)

・顔写真2枚

費用;約60,500Gs

※翌日の昼以降に受け取り

ここでも指紋を全部とられる。

 

 

 

④(翌日)出来上がった外国人無犯罪証明書を受け取り、警察署2箇所で認証してもらう

必要な書類;インターポールでもらった外国人無犯罪証明書

費用;無料

 ※その場で受け取り

セントロ近くの警察署から行ければいいのだけれど、なぜか遠い方の警察署に先に行かないといけないのがとても面倒(嫌がらせにしか思えない)

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2箇所目のスタンプは裏面に押される

 

5. パラグアイの無犯罪証明書

Department of identification パラグアイの無犯罪証明書を発行してもらう

必要な書類

エスクリバニア済みのパスポート顔写真ページのコピー

エスクリバニア済みのパスポート入国スタンプページのコピー(ビザ代わり)

費用;63,000Gs

※その場で受け取り

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6. 健康診断書

病院へ行く

必要な書類;パスポート(受付時に見せるだけ)

費用;診察料 70,000Gs、血液検査 96,000Gs

※血液検査の結果が翌日に出るのでその結果を受け取り、医師に診断書を書いてもらう。

健康診断書をもらうにあたって病院はどこでもいいのだが、人によって、あるいは医師の判断によって費用も内容も大きく異なるようだ。要は「身体的、精神的に健康で、かつ感染症をもっていない」という一文がもらえればいいみたい。(我々は幸い血液検査だけですんだ)

 パラグアイのほとんどの病院は診察と検査場所が離れているので面倒(例えば医師が血液検査とレントゲンが必要だと判断したら一度検査機関で検査して結果を受け取ってまた病院に行かなければいけない)だが、我々が行った病院は検査機関も病院内にあるので非常に簡単だった。

国立病院で無料でやる方法もあるようで、同じくらぱちょに滞在していた方が挑戦していたが、検査項目が多くて何度も通わないといけない上に、時には次の検査まで2週間近く待たされたりすることもあるようなので時間のない方にはおすすめしない。

 

⑦健康診断書を受け取り、Minesterio de Salud (健康省)で承認をしてもらう

 必要な書類
・健康診断書
費用;10,000Gs
※7-13時しか空いていないので注意

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なんとその場で手書きでした
 

7. 居住証明書

⑧所管の警察署で居住証明書の申請をする

 必要な書類
・申請書(警察署でもらい、証人2名にサインしてもらう)
・外国人無犯罪証明書のコピー(スタンプが裏にもあるので両面)
パラグアイ無犯罪証明書のコピー
・電気代領収書のコピー
・パスポート顔写真コピー
・証人(パラグアイ人2名)のセドラ(身分証明書)のコピー
※いずれもエスクリバニアは不要
費用;証人のお2人への謝金 40,000Gs
※翌日受け取り
 
今回は滞在していた民宿らぱちょさんの住所を借りて申請させてもらった。本当にありがたいことです。オーナーの上田さんご夫妻は今までも多くの永住権申請者を受け入れてきているので、必要な書類の準備や証人のお二人とのやりとりなどもしていただいて本当に助かりました。完全なるご好意でやってくださっていることなのでお願いする場合はくれぐれも失礼のないようにしましょう。
 
 
 

8. パラグアイの銀行口座の残高証明書(5,000ドル以上)

(ただし雇用契約書等がある場合は不要)

Banko National de Formentoで銀行口座を開設し、5000ドルの残高証明書を発行
 必要な書類
エスクリバニア済みのパスポート顔写真コピー
エスクリバニア済みの外国人無犯罪証明書コピー
・預け入れるお金 28,500,000Gs(ドルで入金もできるがレートがあまりよくないのでグアラニーで入金した方がいい)
費用;残高証明書発行手数料 55,000Gs
 
 最後にして最大の難関だった銀行口座開設。
当初の予定では日系の銀行であるFinanciera Paraguayo Japonesaで口座を開設し、Transferwiseという国際送金サービスを使って送金するつもりだった。
だが窓口で聞いたところ、ここは銀行ではない(信託?)ので送金ができないことが判明し、さらには現金1,000ドルを預けるごとに12ドルの手数料がかかると言われたので他の銀行を探すことにした。しかしパラグアイでは外国人が銀行口座を開設できるところはほとんどなく、5ー6軒尋ねたが全て断られてしまった。
途方に暮れていたところで、翻訳の書類を取りに行った時に翻訳のおばさんから聞いたのがこのBNFの存在である。実はここのBNFは移民局と提携していて、永住権申請のための口座が開けるところで、必要な書類もパスポートとインターポールのコピー、そして現金5000ドルだけで済む。(そんな情報誰も知らなかったぞ)そして永住権が降りた時点で口座の凍結が解除されるそうだ。
だがここの銀行も口座開設は現金(しかも一括で5,000ドル分)を用意しなければならず、現金の入手に苦戦した。今回はやむなくWestern Unionという国際送金サービスを使ったが、手数料が高い上に家族にとても迷惑をかけてしまったので、前もって現金入手の手はずを整えておくべきだった。
 

 

⑩すべての書類をコピー&エスクリバニアする

 コピー&エスクリバニアする書類

・パスポートの顔写真ページ

・日本の戸籍謄本(原本、翻訳部分)

・日本の無犯罪証明書(原本、翻訳部分)
・外国人用の無犯罪証明書(両面)
パラグアイの無犯罪証明書
・健康診断書(両面)
パラグアイでの居住証明書
パラグアイ法令遵守誓約書
パラグアイの銀行口座の5,000ドルの残高証明書 

 ※すべてのページをコピー、エスクリバニアするのでかなりの枚数(30枚近く)になる。お願いしたコピー屋さんはたくさんあるからといってすごく安くしてくれた。

 

ついにゴール!!移民局へ!!

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 必要な書類

・上記⑩のコピー、エスクリバニア済みの書類

・パスポート以外の原本(原本は永住権が降りたら返却される)


費用;1,549,218Gs

 
3ヶ月から半年後に永住権がおりるそうです。
ひとまず終わってよかった。
 
 2019年2月現在の申請はこんなかんじでしたが、パラグアイでは申請時期や担当官によって条件がコロコロ変わることもあるので、あくまで参考程度にしてください。
 

なぜパラグアイなの?

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なぜパラグアイなの?

これはわたしが幾度となく相方にした質問である。

南米大陸を多少自転車で走ったことがあっても、パラグアイには行ったこともないし、何よりも日本から行くには時間もお金もかかりすぎる。だから移住先として考えるならもっと近いところー例えばタイとかフィリピンとか、東南アジアがいいんじゃない?と提案してきた。

 

そもそも、パラグアイってどこ?

パラグアイに行く、と言うと9割ぐらいこの質問が来る。わたし自身も恥ずかしながら調べてみるまでうやむやだった。名前は聞いたことがあっても場所をちゃんと把握している人はほとんどいないだろう。

 

ja.wikipedia.org

 

ボリビア、ブラジル、アルゼンチンに囲まれた内陸国

地球の歩き方を見ても、アルゼンチン、チリ、パラグアイウルグアイの4カ国がまとめられた1冊に、パラグアイが登場するのはわずか30ページ。それほど知名度も見所もない国である。

それでも相方はパラグアイがいいという。

 

まず、第一に日本人にとって永住権が取りやすい点。

パラグアイでは戦後の移住協定がまだ生きており、犯罪歴がなく、現地で口座を開設して5000ドル以上の残高証明が出せれば、ほぼ誰でも永住権を取得できるという。

 

第二に竹がある(らしい)点。

意外かもしれないが南米大陸にもかなりの種類の竹がある。わたしも自転車旅中いろんな種類の竹を見かけ、中が空洞でない竹を壁材にしたに家や、手作りの竹自転車で旅をしているブラジル人の女の子にも出会った。

パラグアイにも竹林があるようだが、竹細工に適した竹がどれぐらいあるのかについては未知数だ。

 

第三に南半球にあるという点。

もしも再び日本で地震原発事故が起きて、日本に住むことが難しくなった時、自分たちだけでなく、家族や友人知人を受け入れられる場を作りたい。そのためにも原発のリスクが少なく、資源ももたないために他国から狙われにくいパラグアイは最適だという。

だがいくら南米の中では比較的治安がいいと言われているとはいえ、銃国家でもあるパラグアイにはもちろん日本とは違うリスクがあることは否めない。

 

わたしも彼の言うことは概ね理解できるし、海外に住むこと自体にはそこまで抵抗はない。でも南米は遠すぎるし、行ったこともない国にいきなり移住とか言われてもピンとこない。

そしてかくいう彼もパラグアイには行ったことがない。二人とも行ったことのない場所についていくら議論を重ねたところで平行線のまま。とりあえず一回行って見ないことには何も進まない。そんなわけで今回行くことになったのだ。

彼はすっかり移住する気満々だけれど、わたしは実際に自分の目で見て、人と話して、そこの空気を吸って肌で感じてから判断したいと思う。

次なる目的地 Next destination

ニューヨークのJFK国際空港で9時間の乗り継ぎ便を待つ間、このブログを書いている。

ブログを書くのは実に半年ぶりだ。

この半年間、ブログ上ではニュージーランドで時が止まったままだったが、現実ではあれから半年しか経っていないのが信じられないほど、本当にたくさんの出来事があった。

1年の予定だったニュージーランドでのワーホリは、想定外の出来事によって、一度もワーキングすることなく1ヶ月半で終わってしまった。

その出来事をどう捉えたらいいのかわからず、帰国後もやり場のない感情をひたすらぶつけまくった。

家にこもっていてもストレスが溜まる一方なので、バイトをはじめたが、それも長くは続かず、やはり自分は何をやっても長続きしないだめなやつだという烙印を押されたような気がして、ますます塞ぎ込んだ。

 

それでも稲刈りや畑仕事、台所の床張りや薪ストーブの設置などやるべきことも少しずつ片付けて行った。やるべきことと向き合い、相手と向き合い、自分と向き合う中で、再びここに帰って来た意味がようやく分かって来た。

 

 
 
 
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ついに我が家にストーブが…!!

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竹細工も少しずつ作れるものが増えて来て、みかん農家の友人からはじめて仕事を頼まれた。

 

 
 
 
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はじめて作った買い物かご 縁巻きが難しいー 練習あるのみ #竹細工 #買い物かご #処女作 #bamboocraft

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そんな中、以前から相方が行きたがっていたパラグアイに一度行ってみようという話になった。それもただの旅行ではなく、移住先の候補地としての視察で、ついでに永住権も申請しに行くことになったのだ。

(※パラグアイは日本人が簡単に永住権を取れる国の一つ。なぜパラグアイなのか、それについてはまた追って書くことにしよう)

 
 
 
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JALの機内食レベル高すぎ

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というわけで、次なる目的地はパラグアイである。誰かと一緒に旅に出るのは久しぶりだ。

ニューヨークからさらにチリのサンティアゴで乗り継ぎ、パラグアイの首都であるアスンシオンに着くのは日本を出てから43時間後。

まだまだ先は長い。