青森編 #1 ミサイルと南部煎餅
サイレンの音で目がさめる。
「北朝鮮からミサイルが発射されました。頑丈な建物か地下に避難してください」
わたしは東屋の下、テントの中。どう見ても頑丈な建物ではない。
これでダメならそれまでだ。半分寝ぼけながら、諦めにも似た境地。
ご飯を作っているうちに雨がやんだのでぼちぼち出発。
ずっと気になっていた六ヶ所村に寄ってみた。
使用済み核燃料を再利用する再処理工場や高濃度放射性物質を保管する施設が建ち並ぶ。
平均所得1300万円以上。3.11以降も引き続き原発を推進している。
原燃PRセンターは予想通り、原発がいかに素晴らしいかを訴えていた。
「中性子を当てて、ウランをプルトニウムに変えよう〜」みたいなゲームもあり、いかにも多額のお金をかけて建てられたと思われる広大な施設の中には、わたし以外はスタッフしかいない。
村の中にある看板には「みんなで力を合わせて実現しよう核燃料サイクル」と書かれていた。
きっとこの村の人々は小さい頃からこうした教育を受けてきたんだろう。
美しい言葉をならべて作り上げてきた「安全神話」。
そのことに気付かず、気付いても見て見ぬふりをしてきた大多数のわたしたち。
核爆弾を何千個も作れるだけのプルトニウムをすでに保有している。http://yohoho.jp/13276
ミサイル報道のあとだったから一層現実味があった。
曲技自衛隊・ブルーインパルスの飛行場がある三沢では、たくさんの飛行機があちらこちらで低空飛行をしていた。
大地を切り裂くようなけたたましい轟音。電線の倍ぐらいの高さで頭上を通過した時、テレビや映画でしか見たことのないB29の姿と重なり、降ってくる爆弾を想像してしまった。
雨にやられてケータイが水没した。パタゴニアの悪夢が蘇る。
地図も連絡手段も情報収集も記録もこの小さな箱の中に頼りきりのわたし。早くお米に入れないと。
なんとなく暗い気持ちを抱えたまま、おいらせに着いた。
カメラマンのMotokoさんの紹介で、南部煎餅屋の川越さんを訪ねた。
とても温かく出迎えてくれ、泊まっていってといってくれた。焼きたての煎餅をいただいた。暗い気持ちは一気に吹っ飛んだ。
一緒にごはんを作って食べた。旅のこと、海外での暮らし、アイヌや縄文文化のことなどたくさん話した。
今日もこうして生きていること
平穏な1日を終えられたこと
何一つあたりまえなんてないということ
そんなことを再確認した1日だった。
ちなみに水没したあいぽんはお米先生のおかげで無事復活しましたよ。
翌朝、出発前に煎餅屋さんを少しお手伝いさせてもらった(ほとんど邪魔してたと言っても差し支えない)。添加物は一切使わず、生地をこねて一枚ずつのばし、焼き、詰めるところまですべて手作業。たくさんの手間ひまをかけて、おいしい煎餅ができていく。
八戸で見つけた八百屋さん。
行列のできてる店には入りたくなるよね。
平目漬丼甘みのある平目が卵黄とタレとからんでうまい〜高級な卵かけご飯みたいな
久慈の手前の温泉でゆっくりしつつ、となりのキャンプ場に泊まろうかな〜とか思っていたのだけど、おばちゃんたちに「クマが出るからやめなさい」「道の駅まで行きなさい」と言われたので、真っ暗な夜道をひたすら走って道の駅へ。
トイレのとなりに24時間空いてる休憩所があって快適です。同じくスーパーカブで日本一周している青年と一緒になりました。これで雨もこわくないぜ。