まやたろの体当たり日記 Wanderlust

東京銀座のOL→山梨で農業と狩猟をはじめる→2016北米&南米自転車縦断→2017夏全国キャラバン→2019秋「なないろペダル」(出版舎ジグ)刊行!

宮崎編 #1 よっぴー&まりんちゃんの子育て論がとてつもなく深かった

よっぴーとまりんちゃんという面白い親子が来ると聞き、都城まで運んでもらった。

AI-am | 小・中・高校に通わずに大学へ行った話と、これからの「学び」の話

実はわたしはよっぴーとまりんちゃんのことは知らず、友人であるまさみん(宮崎のゲストハウス型シェアハウス 『ミヤザキ村Coming館』を運営しているイケメン)から、同じく友人のネジくん(3人の息子のシングルファーザーでありながら、ハッピーソルトという釜焚き塩の職人でもあるイケメン→Uchiwa商店)ちでパエリアを食べる会があるからそこで会おうと言われて向かったのであった。そしてそのパエリアの会の前に、子育ての話についてのお話会があるということで、独身のわたしが行くのは場違いなんじゃないかとドキドキしたけど、本当に貴重なお話が聞けたし、本当に行ってよかったと思う。

夜のネジくん宅のパエリアパーティー&懇親会もこれまた最高だった。

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まりんちゃんは小中高の12年間学校に行かなかったが、ある日大学に行きたくなり、そのために2ヶ月半で12年分の勉強を終わらせ、志望校に現役合格したという女の子。まりんちゃんもすごいけど、そのまりんちゃんを育てたよっぴーの教育方針が本当にすごかった。

子供をひとりの人間として扱うこと。なぜそうしてほしいのか、自分の考えていることをきちんと相手に説明すること。お互いにとって納得できる結論が出るまで徹底的に話し合うこと。

子育てだけでなく、すべての人間関係に当てはまることだなあと思った。

 

「叱る」と「褒める」は同じ

よっぴー曰く、「叱る」と「褒める」は同じだという。どちらも自分の価値観を基準にしていて、それに当てはまれば「褒める」し、当てはまらなければ「叱る」ということなのだそうだ。

 

例えば子供がお風呂から上がってびしょ濡れのままうろうろしていたら、多くの親は「ほら、早く身体拭かないと風邪ひくわよ!」といってタオルで身体を拭かせようとするだろう。でも「タオルで身体をふく」というのは親の価値観や常識であって、もしかしたらその子はカーペットでコロコロ転がって身体を拭くかもしれない。そうしたら、もっと吸水性のいいカーペットに替えてあげればいい。

逆に子供が食器を片付けてくれたとしたら「えらいわね〜!」と褒める。えらいわねって偉そうよね。だって大人に対してそういうこと言わないでしょ?とよっぴー。

また、ついつい言ってしまう「だめだめ」「早くしなさい」というのも、なぜだめなのか、なぜ早くしてほしいのか、まずは自分に問い直すと、その多くは子供のためというよりも自分のためであることが多い。

例えば、子供が誰かにものをもらった時、「ほら、ちゃんとありがとうって言いなさい」と言ってしまいがちだけど、それは子供のためではなく、「自分がちゃんとしつけができた親だと見られたいから」だと気付いてからは言わないようになったという。子は親を見て育つから、親がちゃんと礼節をわきまえていれば大丈夫だということだ。

「早く〇〇しなさい」と言うのも、大抵は親の事情であることが多い。それをちゃんと説明する。よっぴーが「ママはこのあとコレとコレをしないといけないから、早くお風呂に入ってほしいな」と言うと、まりんちゃんは「わかった。じゃあ今日から一人で入るね」と言ったそう。子どもは説明すればちゃんとわかってくれる、と。

 

これって子育てだけじゃなくてすべての人間関係に当てはまることだなあと思う。以心伝心とかテレパシーとか、何も言わなくてもわかってくれるだろうなんて思うのはおこがましい。わかってもらえるように最大限の努力をしないといけない。それは相手が子供であれ、大人であれ、同じことだ。

 

やりたいことをやる、やりたくないことはやらない

日本にいるととかく周りに合わせることを求められる。出る杭は打たれ、人と違うことはおかしいという空気がそこかしこに漂っている。小中高とさんざんそういう教育を受けて、すっかり受け身人間にしておいて、高校卒業、あるいは大学卒業になって急に「やりたいことはなんですか?」と問われる。そんなこと考えてこなかった人間にとって、これほど酷な質問はない。自分のやりたいことがわからなくて、とりあえずみんな行くから大学に行き、みんな就職するから同じようなスーツを着て就職活動をする。他でもないわたしがそうだった。しかしまりんちゃんは違う。彼女は常に自分のやりたいことしかやってこなかった。学校には行きたくないから行かなかった。自分で考えて選択をしてきたから、やりたいことが常に明確に分かっているのだ。だからやりたいことのためには努力だってできる。大学に行きたいと思ったら勉強する。これこそが本来の形なんじゃないかと思った。

 

ありのままを受け入れる

よっぴーとまりんちゃんの話の中でもうひとつ印象的だったのは、ありのままを認めればイライラしないという話。「この子はこういう子なんだ」ということが認められれば、それに対して過剰に反応したり怒ったりする必要はなくなる。まりんちゃんが学校に行かないという選択をした時も、よっぴーはそれを受け入れたのだ。それは信じるということでもあるのだろう。

そしてこれがわたしが砂漠で得た気付きと全く同じで面白かった。

Day 133-135 Laguna route #2 - まやたろの体当たりチャリンコ日記

わたしたちはついつい期待してしまう。自分に、相手に、物事に。そしてその期待が裏切られた時にガッカリしたり、イライラしたりしてしまう。ありのままを受け入れるということが、心を平穏に保つために必要なのだと思う。

よっぴーやまりんちゃんとこの話でとても共感した。もっと話したかったな。またどこかで会えるはず!

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