鹿児島編 #2 かごんまぶらり旅
ダイナミックラボをあとにして、鹿児島市内へ向かう。
先日いただいたジョイフルの株主優待券のおかげであたたかいごはんにありつけた。
今夜の宿も決まらない中、寒いのでとにかくお風呂に入りたい!と向かった銭湯。閉店時間はまだのはずなのになんでこんなに暗いんだ?と不思議に思うと、扉に「毎月15日休み」の文字。今日は15日。なんという引きの強さでしょう。
灯りに引かれるようにすぐとなりにあったイルカゲストハウスへ。ここは夜は「よるイルカ」という居酒屋もやっていて、宿泊客でなくとも利用できる。他のお客さんと話しながら鳥刺しと焼き芋焼酎で晩酌。うんめ〜!!
おかみさんがめちゃくちゃいい人で、こんなビンボーチャリダーにさえおすすめの野宿スポットや翌日の観光ルートまで教えてくれた。居心地がいいし、外は寒いし、なかなか出られなかったのだけどいを決して外に飛び出す。
公園のすべり台の下とか東屋とかをぐるぐる周り、結局落ち着いたのはこちらの公園。週末にオーガニックフェスタがあるらしく、ちょうどいいテントが並んでいたおかげで屋根と壁付きの優良物件にありつけた。(写真は翌朝撮影)
人が来る前にとっとと撤収。おかげさまで朝日と桜島を眺められた。
昨日閉まっていた銭湯で朝風呂。金魚さんがんばって。
おかみさんにおすすめされたクレープの自販機。ちょうど中身を補充しているところたったのでしばらく待っていた。するとクレープのおじさんに話しかけられる。
「どこから来たん?ええなぁ。俺もそろそろ仕事やめて車で日本一周しようかと思っとるけん。がんばりや。」
そういって漱石さんをひとり、わたしの手に握らせてくれた。九州の人、ほんとにあったかい…。
ちなみにクレープはこんな感じで出てきます。
西郷どんも見守ってくれる。
ちなみにおかみさんによると西郷どんはとても礼儀正しい人で、たとえ相手が自分より目下の人間であろうと、出迎える時は必ず正装に着替えたという。だからよく見かける浴衣姿は彼の本来の姿ではないらしい。
知らないことばかり。
さて、宮崎県の都城でとある親子のお話会があるということで運んでもらうことになったエセチャリダー。そのお話会についてはまた後日あらためて書きたいと思う。
鹿児島編 #1 ついに潜入!ダイナミックラボ!!
さて、この旅も残すところ1週間を切った。
タイムリミット差し迫る中、わざわざ鹿児島県南さつま市まで足を延ばしたのは、テンダーさんの「ダイナミックラボ」に行くためだった。
ここはテンダーさんがクラウドファンディングで600万円を集め、廃校を改装して作ったファブラボで、3Dプリンターやらレーザーカッター、製材機や木工用の工具、プラスチック鋳造機など広い校舎を利用して大小さまざまな機械が置かれている。
その多くが貰い物だったり、テンダーさんが自ら手作りしたものもあって、なるべくお金をかけずに、でも小さなパーツから家に至るまでなんでも作れるような設備が整えられている。実際ここでわずか3週間で軽トラモバイルハウスを作った人もいるそう。
今までゴミとして捨てられていたプラスチックやアルミ缶を溶かしてDIYできるような仕組みを作っていて、これができれば、例えば小学校に出前授業をしてみんなで拾ってきたゴミを溶かしてその場で楽器を作るなどといったことができるようになり、ゴミがゴミという概念でなくなる。ものづくりで社会を変えようとしているテンダーさん。他にも核や政治の問題含めいろんな話をしてくださって、改めてその視野の広さにただただ敬服するばかりでした。
家も作れちゃう木工ルーム。
プラスチック破砕機
破砕されたお弁当のプラスチック容器
テンダーさん自作のプラスチック射出機
こんなかんじでプレスされる。
うわさの3Dプリンター。使われるプラスチックもトウモロコシが原料で3年で土に還るらしい。
こんなものとか
こんなものができちゃう!ちなみにこれはアルミ缶を切るためのジグ。アルミ缶は上下の部分さえうまく切ることができれば、アルミ板として使うことができる。
広げればこんな風に屋根瓦になる。わざわざ高いお金を出して屋根材を買う必要がない。
アルミの融点は660℃なので七輪+ヒートガンで温度を上げれば溶かすことができる。
溶かしたアルミで型作り。
ここに来る途中にスポークが2本折れてしまい、昨日直していたらさらに1本折れてしまった。メキシコで半年ぐらい前に組んでもらったホイールなのだけど、あまりいいスポークを使っていないようでニップルも錆びてて回らないし、どうしようかと途方に暮れていたところ、テンダーさんが救世主を呼んでくれた。10年間で111カ国14万キロを走破した「自転車野郎」こと加藤さん。現在は南さつま市の地域おこし協力隊としてサイクルツーリズムに取り組んでいる。その加藤さんがわざわざ工具を担いでやってきてくれたおかげで、どうにかスポークも交換できた。加藤さんのぶっ飛んだ話がとても面白かった。
お忙しい中&お休みのところ案内してくれたテンダーさんはじめダイナミックラボのみなさま、加藤さん、本当にありがとうございました!
さて今日はこれから宮崎に向かいます。ワープ!!
熊本編 #1 サイハテという名の楽園へ向かう
この度この旅に出た理由のひとつが、三角エコビレッジサイハテの6周年イベント「
SAIHATE 6th Anniversary Fes.《楽園2017》」に参加するためだった。
サイハテとは?
熊本にある1万坪のエコビレッジ。パーマカルチャーをとりいれた〝楽園デザイン〟をベースに、アースバッグ建築はじめのあり方を模索・実践するコミュニティーです。
道の駅で目を覚まし、人が来る前にテントを片付けている間、トイレでiphoneを充電させてもらっていた。片付けを終え、さあ出発しますか、とトイレに戻ると、そこにあるはずのiphoneがいない。
い な い…
わずか15分ぐらいの間にいなくなっているではないか…。掃除のおばちゃんに聞いても知らないと言われ、まだ開店時間まではだいぶあるのでスタッフもいない。仕方ないので近くの警察署に行って紛失届をもらった。
よりによって今日の目的地であるサイハテはどうやら山の中にあるみたいなのだ。余裕を持って出発したはずが、思わぬトラブルで時間をくってしまった。果たして夕暮れまでにたどり着けるのだろうか。大きな不安を抱きながらペダルを踏みしめる。
ああ。あまりにも突然の別れ。昨年アメリカへと旅立つ前からの付き合い。たのしい時も、苦しい時も、いつもわたしを見守り、導いてくれた彼。パタゴニアの雨にやられて瀕死状態になったこともあったけど、お米パワーでどうにか復活(ジップロックの中にお米と一緒に入れておくと水分を吸ってくれる)。わたしは彼に何もかも依存していた。なくしてはじめて気づく彼の存在の大きさ。触れようとしてもそこに彼はいない。
しかし走りはじめてしばらくすると自分の視線がいつもと違うことに気づく。今までいつも彼のことばかり見ていて、周りの景色を見ることを忘れていた。何時までにここに着かないといけないという時間に追われ、道順に振り回され、自分がどこにいるのか、なんのために旅をしているのか、わからなくなっていた。
そうか。これは神様が与えてくれた試練なのだ。
そんなことを考えながら走っていたら、「ますぱん」というかわいらしいパン屋さんを発見。今までだったら中に入るよりも先に彼にお伺いを立てていた。ここのパン屋さんの評判はどうかしら?とか、どのパンがおいしいのかしら?とか。しかし彼のいない今、自分の直感を信じるしかない。
結論から言うとここのパンはめちゃくちゃおいしかった。特にクリームパンは忘れられないおいしさ…。人の評価よりも自分の直感に従うのだ。
それからひたすらこぎまくり、三角方面の海岸沿いを走る。
どうにか近くまではたどり着いたのだけど、最後の道がどうにもわからない。細かい地図もないし、どうしよう…。途方に暮れていたところ、一台の軽トラが通り掛かる。
「すみません、サイハテっていうエコビレッジご存知ですか?」
「ああ、あの丘の上や」
と言って指された方を見る。おそらく標高にして100mぐらい上だろうか。ここから見る限りは木しか見えない。
そのおじさんがとっても親切で、わざわざ上まで案内してくれた。
「「サイハテ」っちゅうぐらいやけん、この世に夢も希望もなくした人たちが集まるところなんやろ?」
と言う言葉に思わず吹いてしまったけど、地元の人達にはそんな風に映るのだろうか。
何度もお礼を言い、引き続き坂を登る。最後の坂がこの旅はじまって以来最強にエグくて、登ろうとしたら前輪が浮き上がった。
なんでこんなところに…と内心思ったけど、その坂の先に待ち受けていた景色を見て納得した。
こりゃ楽園ですわ。
焼き立てパンもおいしい飲み物も全部ドネーションでまわってる。
廃材エコヴィレッジ ゆるゆるの飛龍さん&ゆきよさん、宮崎でハッピーソルトという塩を作っているネジくんとも再会したり、他にも面白い方にたくさん会えた。
翌日は高校の友人ファミリーも遊びにきてくれた。
子どもも大人もとにかく自由に自分のやりたいことをやっていて心地の良い場所だった。わざわざ来た甲斐があった。
またゆっくり来たいなあ。
※ちなみに、なくしたケータイはちゃんと道の駅に届けられていたようで後日戻ってきました。めでたしめでたし。
福岡編 #4 久留米絣をたずねて三十里
福岡を発ってしばらくしてから久留米絣を見に行くのを忘れていたことに気付く。
当初は佐賀から長崎に向かう予定だったのだが、どうしても久留米絣のことが気になって、福岡に引き返すことにした。
久留米絣(くるめがすり)は、福岡県南部の筑後地方一帯で製造されている絣。生産されているもののほとんどは着尺(きじゃく)の綿織物。織幅が1尺(約38㎝)の織物。括り(くくり)とよばれる技法であらかじめ染め分けた糸(絣糸)を用いて製織し、文様を表す。伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。久留米絣の技法は1957年に国の重要無形文化財に指定され、1976年には経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。
江戸時代の後期に、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされる。久留米藩が産業として奨励していた。一時は年間200〜300万反を生産したが、戦後は洋装化により絣の需要が激減、現在は少量の生産にとどまる。
今回は八女市にある唯一の工房、「下川織物」さんにやってきた。当日の連絡にも関わらず受け入れてくださり、大変ありがたい。
サガのサカに苦しめられながら100kmほど走り、工房に到着。
日も傾きかけていたこともあり、干していた藍染の糸を取り入れているところのようだった。
奥の工房からはギッコンバッタンという大きな音を立てながら、織り機がひっきりなしに動いている。20台の織り機による大合奏。
絣は染める段階で染めたくない部分を糸で縛り、織り上げた時に模様が浮かび上がる。織り始めるまでに30工程ぐらいあるらしく、通常で2-3ヶ月、模様が複雑になると出来上がるまでに1年弱かかったりするそうだ。
下の写真は糸を縛った状態(右)、染めたあと(中央)、糸をほどいたあと(左)
これがどんな模様になるかなんてこの時点では想像付かない。
図案を見ながら整経し、
糸を織っていくと…
このように模様が浮かび上がる。す、すげー…
こんな複雑な柄も作れるらしい。
素敵なスタッフの皆様。今夜は冷えるわよ、と言って特別に久留米絣のストールをプレゼントしてくれた。うれしい。
今回見たのは機械織りだったけど、本藍染&手織りで未だにやっているところもあるという。残念ながらタイミングが合わなかったので、次回はそれも見てみたいな。
アップダウンを100kmも走った自分をねぎらうために、温泉入って道の駅の半額弁当食べてビール飲んですぐに寝る。ウロウロしたらだめ、飲んだらすぐ寝る。
佐賀編 #1 思いでぽろぽろ
福岡編 #3 博多織と糸島グルメ
朝ごはんは昨日の差し入れにいただいたサンドイッチ。これでもか!っていうぐらい具だくさんでおいしい。
Googleマップを開いたらたまたま目についた「博多織」の文字につられて入った工房。
ギッコンバッタンという音のする方向に向かうと、通路の両側に並んだ機織り機が休みなく働いている。
従業員の女性は働く手を止めて、ひとつひとつの工程を丁寧に解説してくれた。
博多織も西陣織と同じく絹糸を使ったジャカード織で、表と裏で違う色を出すことができる。生地の厚みは通す横糸の本数によって変えることができる。先日ミニ機織り体験をしたおかげで、以前と比べて仕組みがよく分かって面白かった。今は機械織りで傷などのチェックをするのみだが、昔は全て手作業でやられていたというから驚きである。
ちなみにこの模様は献上柄といい、仏具の「独鈷」と「華皿」との結合と中間に縞を配した紋様。慶長5年(1600年)黒田長政が筑前を領有するようになってからは、幕府への献上品として博多織を献上するようになったという。
来年でなんと777周年になる博多織。そんな歴史のあるものだとも知らず、何の気なしに入ったのだがとても面白かった。
博多織をあとにして、つづいてやってきたのは糸島にある酒屋さん。
福岡・博多・糸島の酒蔵 │ 蔵元【杉能舎】では日本酒やクラフトビールだけでなく、酒粕を使ったパンまで作っている。ビールも酒粕ベーグルもおいしい。
産直市場・伊都菜彩内にある「伊都物語」直営店のミルクいちごアイスがハンパなくうまかった。ミルクは言うまでもなく、凍ったいちごがゴロゴロ入っていて今まで食べたいちごアイスの中で間違いなくベスト1。
福岡産の原料を使い、昔ながらの作り方で醤油づくりをしているミツル醤油へも足を運んでみた。「生成り濃口」を購入。九州の醤油は甘いのが基本だけど、これはどんな味なんだろう。たのしみ。
福岡で食べたものは何もかもめちゃくちゃおいしかった。もうこれはふつうに住みたいですぞ。
福岡編 #2 はじめての路上販売
昨日の夜ゲストハウスにいた人たちに写真を見せていたら、こんな会話になった。
「この写真売ったらいいじゃん」
「北九州は写真売れるんだよ。俺も去年日本一周してたときに写真売ったよ。」
本当のところ、朝はやく出て佐賀まで向かう予定だった。しかし午前中は雨の予報。
「どうせ雨なんだし、写真売ってのんびりしたらいいじゃん」
そうか、これはそういう流れなのか。ならばそれに乗らない手はない。
宿から歩いて数分の距離にある、魚町銀天街のカメラ屋さんで写真をプリントし、教えてもらったとおりにシャッターの下りている店の前にお店を広げた。
写真を並べ、しばらくすると時折通行人が足を止めてくれる。誰もいない時はスルーされるけど、人がいるときは人が人を呼んで人だかりができる。
「へ〜南北アメリカ走ってきたん?この自転車で?すごいなあ!」
みんな口々にわたしを褒めてくれる。素直にうれしい。
「わたしの主人も定年してからバイクで世界一周したのよ〜」とか、
「実は昔競輪選手を目指していて…」とか、すごい方ともたくさんお話できた。
いろんな人がパンやらお菓子やら飲み物やらを差し入れてくれた。
ふつうに商店街ですれ違っていたら言葉を交わさなかったであろうけど、こうしてわたしが座って自己開示したことによって交流が生まれた。
日本の旅に出てから、こうした人との交流に飢えていた。日本人はシャイだしな、と諦めていた。でもそれは決めつけだったのかもしれない。自分から心を開かなければ交流は生まれない。そんな気づきをいただいた経験だった。
近くの病院で働いているシバタくんが仕事帰りに寄ってくれて、なんと博多まで運んでくれることに。エセチャリダーは喜んで乗る。
めちゃくちゃおいしい肉まんも買ってきてくれた。肉汁溢れすぎてきけんなやつ。
博多に住むやっちゃんと合流し、みんなでシバタくんおすすめの南インド料理やさんへ。
カレー通のシバタくんがおすすめするだけあってスパイス使いが巧みで感激のおいしさでした。
そして博多に来たからには屋台でしょ、ってことで一番ノリのいいお兄さんのいる屋台へ。
それにしてもこのオヤジ、ノリノリである。
おでんも焼きラーメンもめちゃうまでした。
さらにおうちに帰ってからはいただきものの草餅とおはぎをいただく。これまたあんこが程よい甘さで絶品。
いただいたサンドイッチもめちゃくちゃおいしかった。
どんだけ食うんやと思ったそこのアナタ、わたしもそう思います。
福岡最高すぎる。
福岡編 #1 チャリダーコレクター・カワサキさんと落ち武者さん
本州と九州の間を隔てる関門海峡。車は橋を渡るが、徒歩&自転車はどうするのか…
答えは「地下をくぐる」である。
歩行者はタダ、自転車は20円を払ってエレベーターで地下へと降り、トンネルを歩く。意外にも関門海峡はわずか1kmほどしかない。
真ん中あたりに県境がある。
そしてトンネルを抜けた先には思いがけない出会いが待っていた。
「日本一周の方ですか?」
そう声をかけられて振り返ると、男性が立っていた。
ちょっといいですか?と手招きされ、お菓子が入った袋と九州の地図(高速のSAなどでもらえるやつ)を渡してくれた。
彼の名前はカワサキさんといい、こうして日本一周するチャリダーの写真を撮りためては、お菓子や地図を配って応援しているという。ブログをやっているわけでもなく、自分のタブレット上にフォルダ分けして保管してたのしんでいるそう。中でも「女性チャリダー」はレアキャラらしく、とても喜んでくれた。他にも「徒歩ダー」や「外国人チャリダー」もレアキャラだそう。
面白そうなのでしばらくカワサキさんとお話することにした。
3年前に定年となり、時間ができたのでこの活動をはじめたらしい。これまでに100人以上の日本一周チャリダーと出会っている。主にブログやツイッターなどで情報を収集し、「今日はこの人が来そうだな」と思ったら朝からこのトンネルの前で張っているそうだ。
ちなみに今日は「りょうくん」というチャリダーがここを通ると踏んで、昼から待っていた。一時間ほど前に小倉城でツイートをしていたのでそろそろ来るはずなんだけど、というカワサキさん。当然ながらカワサキさんもりょうくんもお互いを知らない。なんだかとても不思議な待ち合わせだ。
カワサキさんだけど愛車はスズキさん。
今日はどこに泊まるのかと聞かれ、40kmぐらい先の道の駅で野宿をするつもりだというと、
「今からそこまで走ると暗くなってしまうでしょう。それに女の子にはなるべく野宿とかしてほしくないから、今日はゲストハウスに泊まって下さい。」
そういって軍資金を差し出してくれたカワサキさん。
「いやいやいや、そういうわけにはいきませんから!」と断ろうとすると、
「この人にもこの人にもこうしてお金をわたしたりごはんをごちそうしたりしてきたんです。だからあなたも受け取っていいんですよ。」といろんな人の写真を見せながらわたしの罪悪感を取り払ってくれた。
どこまでいい人なんですか、カワサキさん!!
「それにしても「りょうくん」、来ないですね〜。」
そろそろ日も傾きかけてきたので、カワサキさんにお礼を告げて小倉の街に向かう。
出発して30秒後に向かいからチャリダーの姿が。
「もしかして「りょうくん」ですか?」
「え、なんで知ってるんですか??」
「お待ちかねの方がいらっしゃいますよ」
そう言ってカワサキさんの待つ方へ誘導した。
カワサキ・コレクションにおさめられる「りょうくん」
さて、今度こそ小倉へ。門司港の町並みは赤レンガ倉庫っぽい。
15kmほど走って小倉に到着。カワサキさんのおかげで今宵はなんと前から気になっていたTanga Tableに泊まれることに!
めっちゃオサレや…
カワサキさんにいただいたお菓子とか。
シャワーを浴びようと廊下に出ると、なんとカワサキさんが!
愛車のスズキさんと共にわざわざやってきてくれたのであった。
「一緒にごはんを食べに行きましょう」と言って小倉名物の鉄鍋餃子をごちそうしてくれた。もう何から何まで、本当にありがとうございます…。
宿に戻ってしばらくすると、近くに住む落ち武者さんがやってきた。
落ち武者さんとは昨年に熊本の震災ボランティアで出会ったのだが、わたしが近くにいると知ってわざわざ訪ねてきてくれたのだった。それにしてもエレベーターからこの格好で登場したときは笑いをこらえきれなかった。
ゲストハウスにたまたまいた女性が、落ち武者さんの中学校の同級生だったり、他にも、わたしと同じようにカワサキさんに捕えられたことのある女性チャリダーや昨年バイクで日本を2周した男性などおもしろいメンツが集まっていた。
「そういえば関門海峡にカワサキさんっていう伝説の人がいるらしいんですよ」と男性。
「カワサキさん、さっきここにいたじゃないですか」
「えー!!さっきの方、カワサキさんだったんですか!!?お話すればよかったー!」
どうやらカワサキさんは有名人らしい。
野宿もいいけど、やっぱりゲストハウスって面白いなとつくづく感じた1日だった。
これもぜんぶカワサキさんのおかげです。
そしてこのあとこの場にいた人たちにわたしの旅の写真を見せていたところ、思わぬ展開が待ち受けていたのであった。
山口編 #1 平郡島の織物と子どもたち
山口県の柳井港からフェリーに揺られること1時間40分。やってきたのは人口600人弱の平郡島。以前わたしが鹿肉と何かを物々交換したいと言った時に、友人の紹介を介して柳井のタコを送ってきてくれたひさとみさん。会ったことはなかったけど、いつもFBやインスタで染物や織物をしている様子を見て、いつか訪ねてみたいと思っていた。
フェリーのりばで出迎えてくれたひさとみさんに工房を案内された。
3年前に柳井縞という柳井の伝統的な織物を半年間習い、すぐに独立したひさとみさんは、toito-fabricというブランドを立ち上げ、伝統的な藍染の縞模様だけでなくカラフルで斬新なデザインも取り入れ、パンクファッションとのコラボ作品なんかもある。
そのままお友達のお宅に連れて行ってくれた。大人も子どもも入り混じって楽しそうに話している。はじめて会ったとは思えない、距離感を感じさせない温かい人達に囲まれて、一瞬で打ち解けた。楽しすぎて写真を一枚も撮らなかったのが心残り。
翌朝からひさとみさんはお仕事。
ひさとみさんは今、娘さんが成人式で着る振袖を織っている。早くしろと催促されてるそうで必死に織っている。親の織った晴れ着で成人式に出るなんて、なんと素敵なことなんだろう。
藍の発酵建ても最近はじめたそうで、建てたばかりの藍で先日いただいた白なめし皮を染めさせてもらった。
翌日は平郡東小学校で急遽授業をさせてもらうことになった。今時めずらしいぐらい素直でかわいらしい5人の生徒さん相手に海外の話をいろいろとした。小学生相手ははじめてだったのだけど、クイズや体験も折り込んだりしたので、みんな1時間以上の長丁場でも最後まで楽しんでくれたようでよかった。
やたらテントに興味があるようだったので、みんなでテントを建ててみた。
工房に戻り、機織り機のミニチュアで機織りをさせてもらうことに。しかしこの準備がとにかく大変。まず、機結びという特殊な結び方で経糸を一本ずつ、計82本取り付けていく。そして今度はそれを一本一本綜絖に通し、さらに2本ずつ筬に通す。この作業だけで半日以上かかってしまった。結局織りの作業に入れたのは夜の22時頃。これはミニチュアなので82本だけだけど、実際の織り機は840本?通すというのだから途方もない。
機結びを極めたひさとみさんのお弟子さん(小5)に手伝ってもらった。ありがとうひさ!
綜絖通し
これでやっと織れる状態に!
学校帰りの子どもたちが工房に遊びにやってくる。ゲームしたりお菓子食べたり、思い思いに大はしゃぎ。「仕事にならない」と言いながら嬉しそうなひさとみさん。
そして日暮れ前にはみんなで海へ。ちょうど干潮の時間だったのでみんなでいろんな生き物探し。貝とか魚とか魚のうんちとかたくさん教えてもらった。みんな物知りだなあ。
土管の上で宿題。
野生児ココ
さかなのうんち
こんな環境で育つなんてうらやましいと思うけど、実際はけっこう大変らしい。島には中学校はないから対岸の柳井までフェリーで通わなければならないのだが、1日朝夕1便ずつしかないから部活もできない。必然的にみんな出て行ってしまう。島に残っても、新しい人が来たとしても、仕事がない。だからひさとみさんは島に仕事を作りたいと何度も言っていた。観光地でないからこその大変さと、そこに生きる人たちの強さと優しさを感じました。
またゆっくり来たいなあ。本当にありがとうございました。