徳島編 #3 阿波藍の世界
なんという奥深い世界なのだろう。一歩足を踏み入れた途端、鳥肌が止まらなかった。何か言葉を発するのもはばかられるほど神々しい空間。江戸時代から現在まで脈々と受け継がれてきた「すくも」づくりが行われる「寝床」と呼ばれる土蔵である。写真や言葉では伝えきれない匂い、熱量、そして圧倒的な空気感。
今日は1日どっぷりと藍の世界に浸った。「藍の館」で藍の歴史やすくもができるまでを学び、藍染体験をし、そして新居製藍所へ向かったのであった。
すくもを作るためには、刈り取った藍の葉を乾燥させて、水をかけながら数日おきに切り返し、堆肥状になるまで約100日間かけて発酵させる。種まきから約300日。たくさんの時間と労力をかけて、藍の成分が凝縮されていく。
これに樫の木灰を加えてアルカリ性にし、さらに微生物の動きを活発にさせるために日本酒やふすまを入れて適温を保ち、数日間発酵させてようやく染められるようになるそうだ。
都留の佐藤文子さんもこの新居さんのすくもを使って藍を建てているそう。
現在すくもを作っている藍師さんは新居さんを含めて世界に5人しかいない。温度や湿度、匂いなどから発酵具合を感じ取り、水打ちや切り返しを調整する。経験に基づいた職人技。
もうただただ圧倒されっぱなしだった。
こんな貴重な場に居合わせることができたのも、新居製藍所で働くJOさんと、JOさんを紹介してくれたレキさんやまささん、そして佐藤文子さんのおかげです。本当にありがとうございます。
1日アテンドしてくれたJOさん、本当にありがとう〜!!
すくもや藍についてわかりやすく解説されているサイト。知れば知るほど面白い~!
http://www.blue-edge.jp/04_life.html
徳島編#2 みなみの町でハマチ釣りに
徳島県美波町。ウミガメと水平線が見渡せる美しい海のあるこの町にこの夏から移住したののくんが、仕事の合間をぬって案内してくれた。
その流れで地元のおっちゃんたちと飲むことに。猪鍋とカメノテをつまみながら話に花が咲く。
お二人とも元サーファーというだけあってかっこいい。クニ舛田さんは農家民宿のオーナーであり、有名ブロガーでもある方。
ウェイン浜口さんは造船所、釣具屋、干物やなど7つの顔を持つ方。毎朝ハマチ釣りに出かけているというので翌朝連れて行ってもらうことに。
夜明けとともに出発。
小型のモーターボートから釣竿を両側に伸ばし、船を走らせながら釣るスタイル。ポイントに着いて早々に2本かかった。あっという間の出来事で何が起きたか分からなかった。慣れた手つきでハマチを引き上げる浜口さん。かっこいい。
いつもは10本以上釣れるらしいのだけど、この日は最初にかかった2本のみ。「まやちゃんが乗っとるけん、ハマチが恥ずかしがっとるんかな〜」と浜口さん。ごめんなさい 笑 でもすっごく楽しかったです。
帰り際にはえびす洞にも寄ってくれた。潮に削られて出来た無数の穴。自然の力はすごい。
朝ごはん食べていき〜、と帰ってきて早速ハマチの刺身をいただいた。釣りたては硬すぎるからと前日とって冷蔵庫に寝かせてあったのを浜口さんが見事な手さばきでさばいてくれた。
前の日のお酒が残っていたせいであまり食が進まずざんねん。また食べたいな。
徳島のお遍路文化、よそ者や旅人も受け入れてくれる懐の深さ、本当に居心地がいい。
徳島編 #1 藍に染まる
藍染めと言えば阿波、徳島。
阿波藍の歴史は古く、平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったという。徳島を東西に流れる吉野川は度々洪水を起こす暴れ川として知られていたが、その氾濫によって流域には肥沃な土が運ばれ、藍作を可能にした。江戸時代には徳島藩が藍の生産を保護したために隆盛を極め、その品質の高さから阿波の藍を「本藍」、その他の地方の藍を「地藍」と区別されたほど。
ぜひとも本場の藍染めを見てみたい。しかし、淡路島と徳島をつなぐ大鳴門橋もまた、自転車で渡ることはできない。今月から土日祝日限定で自転車の輸送サービスがはじまったようだが、平日はどうしようもない。
大鳴門橋の自転車輸送始まる 淡路-徳島が周遊可能に | Koroブロ
ヒッチハイクするかどうするか、と考えていたところ、なんと岡田さんが
「明日は雨だし、休みだから送ってあげるよ〜。まだ徳島も行ったことないし。」という神様のような言葉をかけてくれたので、お言葉に甘えることにした。(お言葉に甘えてばかりです)
海陽町でinBetweenBlues ~Oceanview indigo studio~というお店を営む永原レキさんの元まで送っていただいた。レキさんはプロサーファーでもあり、藍染のサーフボードなども作っている。
今日は雨だし、どっか屋根の下でテント張れたらいいな…と思っていたら、なんとレキさんが「かめちゃんのところに泊まれるよ。ごはんも用意してくれるって」と言ってくださり、かめちゃんの元へ。かめちゃんというのは近くの【トータス】という会社で藍染研究に明け暮れている専務さん。かめちゃんと聞いて勝手にカメ仙人に脳内変換されていたのだけど、出迎えてくださったかめちゃんはとても上品でかわいらしくて素敵な奥様だった。
夕飯の時にこれからどこに行くのか、という話になり、たまたま姫路の話題が上ったので、
「塩となたね油だけでなめす、姫路の白なめしというのが前から気になってて、そこに行こうと思ってるんですよね~」
と何の気なしに話したらなんとびっくり、
「この前そこに行ったわよ!」
とかめちゃん。さらに驚くべきことに、ちょうど数日前に完成したという藍染×白なめしのファーストシューズを見せていただいた。これがもう本当に美しくてかわいらしくて、タイミングといい、すべてが奇跡のようだった。
トータスではすべて無農薬で藍を栽培していて、かめちゃんは藍をもっと身近で手軽なものにしようと、化学薬品を使わず、身の回りにあるものでよりいいものを作れるよう日夜研究に明け暮れている。
そんなかめちゃんオリジナルの「あまべ染め」のネックウォーマーをいただいた。
「ここに来る人はみんな素敵な人ばかりなのよ。この年になって好きなことやらせてもらえるのはみなさんのおかげなの。本当にありがたいことだわ。」とかめちゃん。
かめちゃんが素敵だから素敵な人が集まってくるのだと思う。
かめちゃんも、周りの人たちもみんな愛に溢れていて(藍だけに)、今も思い返すだけで気持ちがじんわりと温かくなる。
兵庫編 #2 おのころ島
塩屋の町を後にして淡路島へ渡る。明石海峡大橋は自転車で渡ることができないため、明石から出ているフェリーを使う。
淡路島は近年サイクリングブームらしく、フェリーには自転車ラックがたくさん。西側は比較的車通りも少なく、走りやすいそうなので西側を走ることにした。
淡路島は別名「おのころ島」とも呼ばれる。
伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった[1]。
地創塾同期の岡田さんのお宅へ。前回会った時はまだ奥さんのおなかが大きかったのに、そのおなかの中にいたヒロくんがすっかり大きくなっていて時の流れを感じずにはいられなかった。
わたしが来るからと言って近所のお友達に声をかけてくれていたようで、着いた日の晩は持ち寄りご飯会に。
今年の春に淡路島に移住した岡田さん。現在は鉄の平釜で海水を薪で焚く昔ながらのやり方で、社長さんと二人で塩作りをしている。
塩作りの現場を見せてもらった。残念ながら社長さんには会えなかったが、岡田さんがシミュレーションしてくれた。
海水をポンプで汲み上げてタンクに貯め、逆浸透膜で細かいゴミなどを取り除く。
鉄の平釜でひたすら海水を煮詰めていく。
下にカルシウムなどがたまるので時折除去。
海水を焚き始めて40時間、煮詰めた液をこの杉樽に移して塩(固体)とにがり(液体)に分ける。
網でふるい、ピンセットで異物を除去してようやく塩が出来上がる。
お昼を食べてあわじシェアホースクラブ | 淡路島で乗馬体験 |へ。風月くんというお馬さんが出迎えてくれた。
「くらしに馬を」というコンセプトで、馬合宿や"馬場BAR"という馬を見ながら飲めるBARなどをしている。
実はわたしの前の職場で飼っているコータローがこの春馬耕をしに来たと聞いてびっくり。馬業界狭いですね。
ノマド村は廃校を活用したシェアオフィスやオープンスペース、カフェなどの空間。
このアイスクリームがめちゃくちゃ美味しかった。
夜はヒロくんも通う森のようちえん「まんまる」 in 淡路島マンモスを運営しているあじめちゃんちへ。ハモ鍋をつつきなから旅の話に。
みんなが寝た後もあじめちゃんとサシ飲み。あじめちゃんも何度かアフリカに行ったことがあるようで、その中でもアフリカの人には「今」しかないっていう話がとても面白かった。彼らは昨日の話とか思い出話もしないし、死がとても身近で3ヶ月後にお互い生きてるかなんてわからないから、会いたい人には今すぐ会いにいくという。働いてお金を貯めるとか、いい会社に入るため、いい大学に入るためにがんばって勉強するっていうのは未来のための投資だけど、彼らは「未来のための今」じゃなくて「今のための今」を生きてるっていうのを聞いてすごく納得した。そしてアフリカに行きたくなった。
行きたいところがありすぎて一生じゃ足りないぜ。
淡路島の面白い人や場所につないでくれた岡田ファミリー、ありがとうございました!また来よっと〜!
兵庫編#1 旧グッゲンハイム邸
神戸と明石の中間に位置する、塩屋という海沿いの町。
この町に建つ築100年の洋館、「旧グッゲンハイム邸」を管理する音楽家の森本アリさんに塩屋の町、そして旧グッゲンハイム邸を案内していただいた。
アリさんがこの洋館を管理するに至った経緯は下記の記事に詳しく書かれているのだが、わたしはこの中の「変わらなくていい、これ以上求めなくていい」というアリさんのスタンスにとても共感して、ぜひお会いしてみたいと思ったのだった。
https://greenz.jp/2015/02/27/alimorimoto/
元々企業の研修施設として使われていたのが取り壊されそうになったところを、アリさんのご両親が購入し、現在は平日はヨガや音楽教室、休日はライブ会場や結婚式場として使われている。
この日も土曜日だったので結婚式の準備の真っ只中だった。
2階からは海が望める絶好のロケーション。
裏にはアパートやシェアオフィスもある。
塩屋の町は阪神大震災の時も比較的被害が少なかったために、周囲のように大規模な復興工事が行われず、未だに古くからの町並みが残る。海に面した急な坂や、入り組んだ細い路地は以前訪れた尾道を彷彿とさせる。
そんな細い路地の中にある商店街を進んでいくと、ナポリピザのお店やカレーやさん、八百屋さんや豆腐やさんなどが所狭しと並ぶ。
商店街を歩いているとちょうど明日旧グッゲンハイム邸で結婚式を挙げるというカップルにばったり遭遇。
田仲豆腐店という豆腐屋さんは気前が良くて前を通ったら揚げたてのお揚げをたくさんくれた。
ちなみに厚揚げを棒状にした「豆腐スティック」は、地元の小学生の授業で共同開発した商品らしいのだが、これがもうめちゃくちゃおいしくて。前日飲みすぎて胃もたれ気味だったのに思わずパクパクと止まらなくなるほど。おみやげに買って帰ったらこれまた袋いっぱいにサービスしてくれた。
山盛りサービスしてくれたのに美味しすぎて気づけば残り一本に。
おじさんは種子島出身らしく、わたしが自転車で日本を周っているという話をしたら、
「だんなはいるのか?俺の甥っ子が種子島で大工をしているし、年も同じぐらいだからちょうどいい。会いに行きなさい。」とすすめられた。
(…種子島まで行くか…)
塩屋はとても魅力的な町でした!
お忙しい中案内してくださったアリさん、つないでくれたMOTOKOさん、ありがとうございます!!
大阪編#1 ベンガラ染めともも姫
大阪府羽曳野市。古くから神寺や日本家屋の塗料として使われてきたベンガラを用いて染め物をされている工場があると聞いて訪ねてみた。
メキシコ・サンクリの日本人宿、カサカサのかおりさんが日本に帰省されているということで大阪のご実家にお邪魔した。モモ姫はパワーアップしてて相変わらずかわいかった。
I biked 24.68 km with @mapmyride. https://t.co/gOpyHKtbPS #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) October 12, 2017
大阪を通り、神戸へ。
8月に十日町の月見音楽祭で出会ったおーやさんのご実家に泊めていただく。奈良からけんちゃんもわざわざやってきてくれた。お母さんがめちゃくちゃ面白くて気づけば朝の3:30まで話していた。
実家を再出発してから一ヶ月になるが、ご縁がご縁を呼び、小田原城と琵琶湖のほとりで一回ずつ野宿をした以外はすべて屋根と壁のある暖かいお部屋で眠らせていただいているという奇跡。本当に本当にありがたいことです。
I biked 53.70 km with @mapmyride. https://t.co/H2N1eYBuzg #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) October 14, 2017
奈良編#2 チャリダー先輩とスーパー主婦
奈良公園の鹿さんたちとひとしきり戯れ、大仏を眺めてから奈良をあとにした。
途中でけんちゃんちへ。けんちゃんとは8月に十日町ギルドハウスの月見音楽祭の時に出会った。話を聞くと彼は1年半ぐらい前まではやり手の経営者で億単位の売上をあげていたらしいのだけど、去年仕事を辞めて結婚し、今はほとんど働いていないらしい。周りからはいろいろ言われることもあるが、パーリー建築のしょうたろーくんやゆーたろーくんたちに出会ってから、お金や働くことへの価値観が大きく変わり、不思議と不安はなくなってきたという。
結局お金ってなんなんだろう。たくさん持っていたら安心なのだろうか。そもそもお金ってそんなに必要なのかな。家族とか友人とか大事な人と一緒に過ごす時間を犠牲にしてまではたらく時間に費やす必要が本当にあるのだろうか。高いお金を払って高級レストランに行くよりも、自分や顔の見える人たちが作った素材を使った料理を作ってみんなで食べるほうが何倍も幸せだと思うし、一生分の稼ぎを費やして立派な家を買うよりも、ボロ家をあーだこーだ言いながら自分たちの手で直す方がたのしいと、わたしは思う。そんな話をできたことがとてもうれしかった。
チャリダーつながりで穴虫に住むゆかさんとかっちゃんのお宅へ。ゆかさんは以前ユーラシア大陸をひとりで横断したチャリダーの大先輩。旦那さんのかっちゃんも世界各地を自転車で走ったことのあるチャリダー夫妻。前日に水越さんのお友達からいただいたイノシシ肉とマコモを持っていったら、インド仕込みのおいしいカレーを作ってくださった。
ヘチマランプやスピーカーなど、手作りの品々もかわいい。
わたしもゆかさんも手仕事が好きという共通点があり、海外や日本の手仕事トークで話が盛り上がった。その話の中で近所にすごい方がいるという話になり、翌日噂のスーパー主婦・ニシダさんの元へ連れて行っていただいた。
元々トルコのオヤという手工芸品がきっかけで絹糸を一から作りたいと思い、養蚕からはじめることにしたそう。
ニシダさんが蚕から育て、紡ぎ、草木染めで染めた美しい糸。わたしもゆかさんも大興奮。
スピンドルや糸紡ぎ車での糸つむぎも教えてもらう。ニシダさんがやるといかにも簡単そうに見えるのだけど、ちょっと油断するとブチッと切れてしまったり、逆に太くなりすぎたり。なかなか塩梅が難しい。
最近は羊まで飼い始めたようで、もう少し毛が伸びたら羊毛を紡ぐのが楽しみだそう。
完全に趣味の域を逸脱している…すごい人がいるもんだ。
I biked 40.89 km with @mapmyride. Check out my route in Nara-Shi, 28, Japan! https://t.co/gZsw2MHrXf #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) 2017年10月11日
奈良編 #1 しかしかしか
京都から木津川沿いを南下して奈良に入る。どこまでも平らな道はメキシコのユカタン半島を彷彿とさせる。平坦で車通りが多くてとにかく眠い。何度か意識が遠のきそうになるのを必死でこらえながら、奈良に到着。
奈良に来たのは学生の時以来だから10年ぶりだろうか。こんなにも鹿が多かったっけ。ここ最近は野生の鹿しか知らないので、こうして人馴れした鹿を見ると実に不思議な気分になる。なんというか…かわいい。もう食べられないかもしらん。
そして有機農家を営む水越さんの元へ。母の友人の妹さんで、わたしが旅に出る前からずっとブログも読んでくださっていて、今回やっとお会いすることができた。
近所に住んでいる農家さんや猟師さんもイノシシやら鴨やニワトリ(飼っているのをわざわざシメてきてくれた)やら持って集まってくれて、旅のことや日々の暮らしのことについて夜な夜な話した。
元々ご両親の代は慣行農法だったのが、水越さん(ご主人)が有機農業を引っさげて帰ってきてから、「クスリを使わないほうが体の調子がいいし、野菜の味も濃い」とご両親も気づき、今では完全にアンチ農薬になったという話や、おふたりの馴れ初め話がおもしろかったな。お手伝いするつもりが結局なにもできなかったので次回はこき使われにきます。
京都編 #2 ラジオにのせて
滋賀の高島で出会った方から、京都のKBSラジオへの出演依頼をいただいた。わたしはすでにその時奈良にいる予定だったので一度はお断りしたのだが、まあこんな機会もなかなかないだろうと思い直し、電車に乗って京都に戻ることにした。
奈良から電車で約1時間。京都御所近くの喫茶店でカレーをごちそうになりながら打ち合わせ。このカレーがまたすっごく美味しくて、しかもルーがおかわり自由という。これだけでもうわざわざ来た甲斐があったなあと思ってしまうほど。
打ち合わせから放送まで2時間ほどあったので、その間に大学に行ってみることにした。実はわたしが京都にいた時は三連休だったので先生にお会いできなかったのだ。顔なじみの先生のもとへ挨拶に伺う。8年も経つと先生以外はほぼ総入れ替え状態であったし、そもそも今のわたしは住んでいる世界が違いすぎて共通言語がほとんど見つからなかったが、それでも先生の元気そうな姿を見られたことはよかった。
そして迎えた本番。
どうなることやらとヒヤヒヤしていたが、さすがはプロ、そして関西人。バシバシと気持ちよく突っ込んで盛り上げていただき、あっというまに20分が過ぎた。終わったあとはお土産に総長カレーと、「旅を終えたらまた出てください」という再出演オファーまでいただいたのであった。
今回の件で学んだことは「迷ったらやる」ということ。もしあのまま断っていたら何もせずにただぼけーっと縁側に座ってお茶をすすっていたか、奈良公園で鹿と戯れる1日になっていたことであろう。まあそれはそれで悪くはないのだけど、「やる」いうところに立つことで、自分だけでなく周りの人や環境も自然とそういう風に転がっていくし、いろんな可能性が拓けてくる。今までの人生においても、やった後悔よりもやらなかった後悔の方がはるかに尾をひく。
そんなことは去年旅に出た時からとうに気づいていたはずなのに。
それをあらためて思い出させてもらう出来事だった。