京都編 #1 懐かしさとせつなさと
昨日の朝から降り始めた雨は翌朝になってもしとしとと降り続いていた。
昨夜は結局日付が変わるまで飲み、古良慕のスタッフであるのんちゃんのご実家に泊めていただいた。突然のことなのに快く受け入れてくれて本当にありがたい。
琵琶湖から京都に抜けるには大きく分けて3つのルートがあり、いずれにしても峠を越えないといけない。一番短いけど急な途中越え、ぐねぐねと曲がった山中越え、一番楽だけど距離の長い大関越え。今回は大関越えの裏道である小関越えを行った。200mほどの小さな峠だがそれでも勾配が急なので汗が吹き出る。12時の鐘と同時に頂上に着き、なんだか気分がいい。
そこからはスルスルと坂道を下っていき京都に到着。まともに京都に来たのは何年ぶりだろうか。
真っ先に向かったのは一乗寺にある定食屋、「せんなり」。学生時代、わたしはここで4年間アルバイトをし、胃袋を支えてもらっていた。
いつも変わらず温かく迎え入れてくれるおくさんとマスター。もうあれから10年も経つのかと思うと信じられない。
それにしても京都には友人がたくさんいたと思っていたのに、気づけばみんな就職やら結婚やらで散り散りになってしまった。
ジミーくんの実家であるアイバサイクルに里帰りしてみた。
夜はいつもお世話になっている先輩のおうちへ。ナカイさんはわたしが人生の壁にぶつかる度に相談する頼りになるアニキ。昨年ご結婚されたそうで、奥様にもはじめてお会いした。そんな新婚さんのお宅におじゃまするという厚かましさ。実は近頃少し悩んでいたことがあったのだけど、お二人に相談したら吹っ飛んでしまった。やはり偉大な先輩です。
10年前のわたしはいつも何かに悩んでいて、自分に自信がなくて、人をうらやんでばかりいた。今も根本的には大して変わらないけど、当時はこれで人生決まってしまう!ぐらいに思っていたことが、今にしてみれば本当にちっぽけなことだったなあと感じるわけだから、きっと今悩んでることも10年後のわたしから見たらちっぽけなことなのだろう。そう思えば一見ぐるぐると同じようなところを回っているように見えて、案外らせん状に上がっているのかもしれないな。
大学時代の恩師や幼なじみとの再会、大学の校舎、はじめて一人暮らしをしたアパート、行きつけのパン屋、よく走った道…
変わらないものと変わったもの、 懐かしさとせつなさを感じながら京都の街を後にした。
滋賀編 #2 鮒鮨とこらぼ
黒壁の街並みで有名な長浜。
「どんどん」という長屋を改築したオサレなシェアスペースへ。
どんどんのスタッフさんに湖まて徒歩1秒の屋根付き物件(東屋)を教えてもらって投宿。
翌朝カラスの鳴き声で目がさめる。今日は10時から雨の予報なので太陽よりも早起きするつもりだったのだが…
屋根付きだが壁なしのため明け方は寒かった。
カメラマンのMOTOKOさんに、「高島に行くなら絶対会って欲しい人がいる」と言われ、まずやってきたは江戸時代から続く老舗の鮒鮨やさん、「魚治」。
魚を麹に漬けて2年間発酵させて作る鮒鮨。冷蔵庫のなかった時代の魚の保存方法。昔のひとの知恵が作り上げた食文化。チーズやヨーグルトなどが今ほど一般的ではなかった時代、発酵による酸味は受け入れられにくく、したがって甘露煮(鮒鮨の飯をおとして甘辛く煮る)のほうが人気だったそうだが、今は発酵食ブームなこともあって元々の鮒鮨の方が人気があるそう。時代とともに人々の味覚や趣向が変わるのは面白い。
予報通り10時から雨が強くなってきた。
高島市の針江地区は平成の名水百選にも選ばれた「生水(しょうず)の郷 」。
各家をはじめ100カ所以上の湧き水が溢れ、600年以上前からある水路を今も生活の中で利用している。
ここの水を仕込み水として使う酒蔵も多い。
そんな水の町の一角に、「喫茶 古良慕(こらぼ)」というとても素敵なカフェがある。元々は古民家を取り壊す時などに出る廃材や建具をきれいにして売っているお店で、最近有名になった長野県のリビルディングセンターよりも先駆けてやられている。
カフェの中には古材を使ったテーブルやイス、棚などが配置されていて、ついつい長居したくなるような素敵な空間。
日替わりランチも美味しい。
ここで針江 のんきぃふぁーむというお米農家を営む石津さんと待ち合わせた。
本当はこの日のうちに京都に移動するつもりだったのだけど、いつのまにか土砂降りだし暗くなる前に京都に着くのは難しそうな時間となり、石津さんや古良慕のオーナー・島村さんにも「泊まっていけば」と言っていただいたので、そうさせてもらうことにした。
島村さんの家系は元々葭屋根を葺く葭商をされており、その後も古民家の移築や再生をしていたらしく、古民家をリノベーションした立派なおうちに住んでいた。
今津で100年以上に渡って和ろうそくを作っており、石津さんの友人でもある大與(だいよ)さんにも連れて行っていただいた。
櫨の実や米ぬかから作られる和ろうそく。今では櫨を搾る農家さんもろうそく職人さんも数人しかいないという。伝統的なものからポップなものまでラインナップもさまざま。
翌日から古良慕で展示をされる三瓶さんの作品を見せていただく。三瓶さんの手にかかれば流木やサンゴにも再び命が吹き込まれる。
夜はみんなで鍋を囲む。祇園の料亭で料理人をしていたという島村さんの料理はめちゃくちゃおいしかった。
地元のクリエイターさんも来て賑やかな食卓に。わたしが以前からずっと会いたかったhaiさん(鹿骨アクセサリーを作っている方)もなんとめちゃくちゃ近くに住んでおり、島村さんや石津さんがあの手この手でどうにか連絡を取ると、すぐに来てくださった。わたしが狩猟をはじめた頃、皮や骨を無駄にしたくなくていろいろと調べていたところ彼女の作品を見つけた。本当に美しくて、興奮して作り方などを尋ねたところすぐにお返事をくれたのであった。あれから数年のときが経ち、いろんなご縁とタイミングが重なって出会うことができた。
人の出会いはつくづく不思議なものだと思う。
滋賀編 #1 日本のキューバ
北海道のライダーハウスで会ったアオヤマさん。滋賀に来る時は寄ってくださいと言ってくれたのでお言葉に甘えておじゃました。
長年小学校の先生を勤めていたが、いろんなことが重なり定年を2年残して退職し、そこからバイクで日本一周したり、フィリピンで3ヶ月生活したり。夏は4年連続で北海道を走っているそう。男のロマンを詰め込んだかのような部屋に住んでおり、ラジコン、メダカ、バス釣り、バイク、スキーと驚くほど多趣味。めちゃくちゃダンディで素敵なおじさまでした。
翌日は日本で唯一の湖に浮かぶ有人島、沖島へ。アオヤマさんは昔ここで教師をしていたこともあり、案内してもらった。
フェリーに乗ろうとしたら財布の中に200円しか入っていなかった。アオヤマさん、すみません…
沖島まで約5分。あっという間に到着。
シンプルイズベスト
島には軽トラが2台あるのみで、ほとんどの人たちは三輪車のようなママチャリで荷物を運んでいる。
漁師のおじさんが網を直していたのだが、古くなった網は編んでロープにしていた。まるでキューバのようだ。
チチカカ湖で見たような葦船も作られていたり、
パタゴニアを彷彿とさせる風景が見られたり、
陸からわずか5分の距離なのにここにはまるでタイムスリップしたかのような異世界が広がっていた。
お昼ご飯までごちそうになり、アオヤマさんにお礼を告げて14時頃出発。明日は天気が悪いというので、なるべく先に進んでおきたいところ。
走り出してしばらくすると見覚えのあるライダーさんが。アオヤマさんがわたしの忘れ物を届けてくれたのだった。
颯爽と去っていくアオヤマさん。かっこいいわ〜。
それにしてもわたしは本当に忘れ物が多い。3日に一度は何かをなくす。
なつかしの琵琶湖湖岸を走る。
I biked 49.54 km with @mapmyride. https://t.co/2OR0SfQUVb #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) 2017年10月5日
三重編 #2 友をたずねて
鈴鹿山脈を横目に国道306を南下する。
直進しようとしたところ、左折してきた車とガードレールの間に挟まれて倒れた。いわゆる巻き込み事故ってやつである。わたしをひいた車はそのまま逃げていった。いわゆるひき逃げってやつである。逃げていく車をボーッと眺めることしかできなかったが、脳裏にしっかり刻まれた18-47。幸いかすり傷程度で済んだが、借りていたパニアバッグにタイヤの跡がベットリついたし、太ももにも違和感。ひどい。
I biked 70.40 km with @mapmyride. https://t.co/uJfyWol0gf #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) 2017年9月28日
小さなアップダウンを繰り返し、たどり着いたは友人のしょうちゃんち。彼女はここでご主人とともに「彩園百種」という屋号で農家をやっている。
去年の1月に来た時は壁も風呂もキッチンもなかったのに、今やすっかり立派なおうちになり、新しい家族も増えていたりして、一年っていろいろあるんだなあとしみじみ思う。
地元で林業をされている三浦さんがわたしのお話会を開催してくれた。前回遊びに来た時にみかん狩りに連れて行ってもらい、旅の間も応援していただいていた。地元の方々中心に20名近く集まってくださった。
イーピンさんも松阪から駆けつけてくださり、ボリビアの時からずっと借りていたパニアバッグをようやく返すことができた。一緒に来ていたナオちゃんはママチャリで埼玉から九州まで走ってるそう。ママチャリで箱根越えをしたと聞き、若さってすばらしいと感心してしまった。
夜な夜な囲炉裏を囲んで地元のおっちゃんたちと飲んだ。
翌朝、友人からの電話で目覚める。近所の人の鹿よけネットに鹿が絡まったのでどうにかしてほしいとのこと。わたしがついた頃には既にどうにかなっていた。そんなわけで急遽鹿の解体をすることに。わたしの行く先々に鹿が待っている。
模様がきれいだったので皮もなめしてみた。
家づくりの方はあとは土間に鉄平石を敷き詰めてストーブを設置すれば完成。寒くなる前にやっちゃおう!というわけで
かさ上げするためにコンクリを打ち、
鉄平石をパズルみたいに並べる。気の遠くなるような作業。
野菜の収穫、植え付け、出荷のお手伝いをしたり、
母は強し
庭のキンモクセイが良い香りを放っていたので桂花陳酒を作ってみたり、
毎日とれたてのおいしい野菜をモリモリ食べて
スーパーアイドルたえちゃんに癒され
農家の娘はキュウリがお好き
あっというまに一週間が過ぎていったのであった。
ちなみにお野菜はこんなかんじ
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しょうちゃん、りょうたさん、たえちゃんありがとう!また来るね!
三重編 #1 MY HOUSE
知多半島を出発し、ジャンクションで迷子になりつつもどうにか国道をつらつらと走って三重県に突入。
このあたりは彼岸花が多い。彼岸花というのは今まで住んできたところではあまり見かけなかったのだけど、暖かいところに咲くのだろうか。
根っこに毒があるそうで、田んぼの土手にたくさん生えているのはモグラよけらしい。
70km走って、本日の目的地・三重県最北端にあるいなべ市のオサレカフェ&雑貨屋、「MY HOUSE」に到着。
オーナーのハヤブサさんとは以前に狩猟サミットで知り合い、いつかあそびに行きたいと密かに思っていた。ヤギ、ニワトリ、犬、ネコ、ミツバチを飼い、田んぼと畑をしつつ、忍び猟と罠猟で鹿やイノシシを獲り、自給率の高い暮らしをしている。カフェメニューにはこうしたお肉や野菜、そして自家製の調味料が使われているし、獲った命を余さず使い皮や角を使ったアクセサリーや道具類、骨格標本などもたくさん飾られていた。
どこを切り取っても絵になる素敵な空間。
息子の凪くんとどうぶつのお世話。
一週間前ほどにハヤブサさんに「遊びに行きたいです」と伝えたところ、急遽お話会を開いていただくことに。直前の告知だしそんなに集まらないだろうと思っていたのになんとびっくり30名近い方々が来てくださった。
いなべ市は最近移住ブームらしく、若い親子がたくさんいらしてくれた。旅好き、自転車好き、有機野菜農家、大工、料理人、クリエイター、アーティストなどいろんな面白いひとがたくさん。いなべ市アツイぜ。
終了後は持ち寄りごはん。おいしくてあっという間になくなった。
この日のことをブログで紹介してくださったようです。
翌朝、ハヤブサさんと凪くんと一緒に罠の見回りについて行かせてもらった。ここの集落では猟師さんは他にいないらしく、何か獣が出ると近所の人から電話が来るという。家のすぐ裏にこんなにもたくさんの猟場があるのはうらやましいけど、これだけ全部ひとりでやるのは大変だろうなあ。
方法論だけでなく、罠をかけるときの心構えだとか、動物の痕跡の見方とか、大変勉強になりました。一緒に歩いていた凪が動物の足跡を見つけては、「鹿だ。まだ新しいね。」などと言っていて、こんな素晴らしい環境でこれから彼がどんな風に成長していくのか楽しみで仕方がない。
そのあとは山一つ越えて滋賀に住むお友達のお宅を訪ねたり、キノコを狩ったり、くるみを拾ったり、のぞみんの工房とタコオブジェを見せてもらったり。
銅板をひたすら叩いたり溶接したりして作ってるらしく、ちょうどいいのがないからとネジの一本一本まで作るこだわりよう。この写真だとイマイチすごさが伝わらないけど実物は超かっこいい。
おうちに帰って晩御飯。
出発の朝。雨が止むのを待っていると凪はなぜかもぞもぞしだした。
と思ったら、頭の上に何かを乗せられ、見るとかわいらしいポストカードだった。
ありがとう!またくるよ!
あーもう。めちゃくちゃかわいいぞ、凪。ちなみに顎のピンクのは何?と聞いたら服だそう。
凪画伯の作品がどれも最高すぎて缶バッジたくさん買っちゃった。
出発しようとすると、マキさんがおにぎりやら手作りのグラノーラやらを持たせてくれた。めちゃくちゃうれしい。
雨も上がったところで名残惜しくも出発。
ハヤブサさん、マキさん、凪くん、本当にお世話になりました!!
再々出発 愛知編 知多半島ぐるり旅
ジミーを置いてバスで実家にとんぼ返りしたわたしは、3日後に再び新城の友人の元へやってきた。本当はここでチャリダー×ハンターの3人によるトークなるものを行う予定だったのだけど、わたしの都合で中止になってしまった。わたしは夜しか参加できなかったけど、自由人が多くてとても面白いメンバーだった。
翌朝は豊橋の友人の実家に置かせてもらっていたジミーと再会し、さらには荷物をすべて運んでもらうというオクノテを使って軽々と出発。
南知多まで80km。夕方には着かないといけないのだが、すでに出発時点でかなり遅くなってしまったため、やや飛ばし気味で進む。
新城から走ってくるタカさんとみさちゃんとうどんやで合流する予定だったけど結局会えず、ひとりさみしくうどんをすする。
フレスカというジェラートやさんでようやくみさちゃんと合流。くだものやさんが本気で作るジェラートとだけあって、どの味もフルーツの味がしっかりと出ていてめちゃくちゃおいしい。これは今まで食べてきた数々のジェラートの中でも5本の指に入るレベル。
海底トンネルを通り、
なぞの像を横目に走り、
知多半島の最南端、南知多ゲストハウスほどほどへ。
出発直前にこちらにお邪魔した時から、帰ってきたらお話会をするという約束をしていたのでやっと果たせてよかった。
交流会では念願だったGacha no Curry dayも食べられて大満足。
ほどほどを後にし、タカさんとみさちゃんと3人で海岸沿いを北上。
今日は絶好のサイクリング日和。
無性に魚が食べたくなり、お昼は湾(ベイ)というお魚のお店へ。店内は人であふれていて、平日10食限定のランチ狙いだったけど、すでに売り切れていたので仕方なくおさかな定食。
煮魚はコチ、カレイ、マメダイと3種類も入っていてこれでも十分満足できる内容なのだけど、向かいの人の限定ランチ(茶碗蒸しやデザートもついてもっと安い)がすごすぎて羨ましくて仕方ない。
ダラダラしてたらあっという間に2時間経っていた。
アースバックハウスを見学したり
たまごやさんのプリンを食べたり
温泉に入ったりしているうちに日が暮れた。
再出発 神奈川〜静岡編 想定越えの箱根越え
一週間の実家での羽休めを終え、再び西に向かって走り出した。
なるべく早く出ようと思っていたところに、父が「先日ダイビングのために買ったけど結局台風で行けなくなったので使わなかった」という中国製の「エセ Go Proカメラ」をくれるというので、それの操作や取り付け方法などをあれこれ試していたらあっという間に昼前になってしまった。ありがとう父。
246から境川サイクリングロードを経て江ノ島まで。このコースは何度から走ったことがあり、思い出を噛み締めながらペダルを踏みしめる。
飯田牧場のアイスクリームは、連休最終日かつ夏日とあって長蛇の列ができていた。写真を撮ってる間にドロドロ溶け出すほどの暑さ。
江ノ島についた
眩しいほどキラキラ。
海を眺めながら母が作ってくれたおにぎりを味わう。心配しながらもいつも背中を押してくれる母。いつもありがとう。
海岸沿いの道は景色は最高だが、人も多くところどころ砂が深かったり道がガタついていたりして走りづらい。海が見たくなってはボードウォークへ、道が悪くなったら国道へ、と行ったりきたりしているうちにけっこうな時間が経っていた。
あわよくば箱根まで、と思っていたが小田原に着く頃にはすでに日は傾きかけていた。高架下などいくつかの野宿ポイントを探し回ったが、新幹線が通るたびに爆音がするのでもっと静かな住処を求めてたどり着いたは小田原城。
闇の中にぼんやりと浮かび上がる小田原城を眺めながらビールを飲み、人が少なくなるのを待ってから設営をした。
夜中に何度か警備員さんが通り、とっても明るいライトで照らしてくるので、その度に目が覚めてドキドキしながら寝袋にくるまっていたのだが、結局毎回スルーされた。いいんですか?どう見ても怪しい者ですけど。
あまり眠れないまま朝を迎え、人が来る前にとっとと出発。
これからあの箱根越えが待っているのだ。
箱根の峠はある程度覚悟はしていたが、その3倍ぐらいキツかった。坂に次ぐ坂。アップダウンなんてチャチなもんじゃ断じてねえ。ひたすらアップアップアップ。それも12%とかのアップ。これはアンデス越えよりもキツいですわ。
それもそのはず。海抜0m付近の小田原から20kmの間で一気に900mまで標高を上げるのですから。以前のわたしなら確実に音をあげて途中から押していただろう。
甘酒茶屋に立ち寄り、写真を撮ってたら自転車が倒れてサングラスが車道に落ちたので拾おうとした拍子に手に持っていたカメラが自転車に引っかかって落ち、こんな無残な姿に…ああ…
悲しみに打ちひしがれながら飲む点滴・甘酒を注入。
お店の人と話していて、これから九州まで行くと伝えたところ、目を丸くして「これに一筆書いて」と頼まれる。
本当は徒歩旅行者のためのものらしい。1日先着1名という貴重な枠をゲットした。
どうにかこうにか芦ノ湖にたどり着いた頃には11時をまわっていた。結局20km進むのに5時間近くかかってしまった。歩いたほうが早いぞ…。まだ半日なのに3日分走ったぐらいの疲労感。箱根ハンパない。
下りはあっというま。5時間かけてのぼった距離を1時間で下り、三島に到着。ここになんと友人が休みだからとわざわざ浜松から4時間近くかけて迎えに来てくれていたのである。なんという神様のん様仏様。
行こうと思っていたカフェがいずれも定休日だったり臨時休業だったりしたので、パンを買ってドライブしながら浜松まで帰った。道中も帰ってからも、それはもうひたすらいろんな話をした。のんちゃんとはまだ数回しか会ったことがないというのが信じられないぐらい、なんでも話せるマブダチです。いつもほんとにありがとう。
浜松は大好きな人たちがたくさんいる大好きな場所。本当はここで数日間ゆっくりしてから西に向かう予定だったのだが、想定外のことが起こって一度実家に戻らなければならなくなってしまった。豊橋の友人宅に自転車と荷物を置かせてもらい、高速バスで帰る。…バスって早いな。
岩手〜宮城編 三陸のいま
釜石から石巻まで45号線をひたすら走る。海岸沿いとはいえ、アップダウンが多くて地味にキツイけど、海沿いの絶景とおいしい海の幸に癒される日々。
今回このルートを選んだ理由のひとつとして被災地の現状がどうなっているのか、またそこに住む人たちがどんな思いで暮らしているのかを知りたいという思いがあった。そしていろんな繋がりのおかげでたくさんの素敵な方に出会うことができた。
釜石では都留文科大学の高田先生のご紹介で「三陸ひとつなぎ自然学校」に泊まらせてもらった。現在も全国から学生ボランティアやインターンが来て釜石を盛り上げている。
震災をきっかけに釜石にUターンし、「さんつな」を立ち上げたジョイとお話した。中でも素敵だなあと思ったのは、震災当時小・中学生だった子供たちが高校生、大学生になり、釜石のために何かしたいと立ち上がっているという話。小学生にもわかりやすいハザードマップを作りたいという高校生や、ホームページの作成やイベント企画に携わる大学生。こうした若い世代がまちづくりに参画するってすばらしい。ジョイ自身もそれまで何もない街だと思っていた釜石に、いろんな人が集まってきて面白くなってきたと言っていた。
翌朝はボランティアで来ている学生さんに混じって釜石で行われるトライアスロンの設営を手伝い、交通規制がかかる前に出発した。
大船渡や陸前高田など、津波で大きな被害を受けたところを通った。まだ復興には時間がかかるな、という印象。
急傾斜かつ急カーブの連続でかなりしんどいが、合間に見える景色や道の駅で食べるおやつを楽しみに乗り切った。
気仙沼では陸前高田で震災支援をしているマザーリンクジャパンのねじめさんのご紹介でお友達の徹也さん宅に急遽泊めていただくことになった。当日の夕方ぐらいに連絡していきなり「今晩泊めてください」」って普通じゃなかなか受け入れてもらえないよなあと恐縮。夜は徹也さんのお友達に誘われて大政というお寿司屋さんへ。フカヒレのパイスープやさめのハツなど、食べたことのないものばかりでどれも美味しかった。
そのあと帰宅し、旅の話をいろいろとした。そういえば海外では道を走っているといろんな人に声をかけてもらったり、飲み物や食べ物をもらったり、車に乗せてもらったり、お宅に泊めていただいたり、そんなことだらけだったけど、日本では挨拶すらほとんど交わさない。そんな中でもこの三陸沿いはフレンドリーな人が多いなという印象で(現にこうして泊めていただいているわけだし)、そのことを伝えると、
「それは震災があったからよ。以前ならきっと断っていたけど、震災の時にいろんな人がボランティアに来て助けてくれたから、今度は誰か困っていたら何か自分たちができる範囲で手助けしたいと思うのよ。」とお母さん。
わたしも今までいろんな人に助けられてきて、現に今も助けられているわけで、いつかは助ける側になれたらいいなと思う。恩を返しきれなくても恩送りしたい。そんな話をしていたら、「あなたがこうして来てくれて、知らない世界をたくさん見せてくれたこと自体が恩返しなのよ。」と言ってくださって…なんともありがたいことです。
気仙沼から石巻へ。震災直後にボランティアに来たことのある、南三陸。オシャレな道の駅ができていたが、こちらもまだまだ時間がかかりそう。
石巻では以前狩猟サミットで知り合ったダルさんにお世話になった。
ダルさんは震災ボランティアをきっかけに石巻に移住し、現在ははまぐり堂というカフェの運営や建築の他、わな猟で獲れた鹿革で小物を作ったり、家具を作ったりと多才な方。本当は蛤浜まで行く予定だったのだか、地図を見ると峠があるようで日没までに間に合わないと踏んで諦めた。石巻駅前の居酒屋で飲みながらいろいろ話した。最近新しい家をもらえることになったようで、そこを若者たちのチャレンジの場にしたいと言っていた。蛤浜も行きそびれてしまったし、またゆっくり来たいなあ。
朝から大ぶりの焼き牡蠣をいただく。贅沢!!
日本三景の一つ、松島で最近できた噂のおいしいパン屋さんに寄り、松島をしばし散歩。
S市杜王町に到着。
後輩のユイちゃんとそのお友達の原さんと一緒に牛タンに舌鼓をうち、東北最後の夜を締めくくったのでした。
牛タンにぎりは「うまい」って思わず3回言っちゃうぐらいうまかった。
これにて全国キャラバン前編(東日本編)はひとまず終了。本当は福島ぐらいまで行きたかったけど、今回は残念ながらタイムオーバー。
東京までワープします。
【全国キャラバン前編(東日本編)8/1~9/6】
走行ルート:新潟→山形→秋田→青森→北海道→青森→岩手→宮城
走行距離:約1500km
実質走行日数:23日間
実家でしばし羽根を休めて、9月後半から今度は西に向かいますよ〜。
今のところ静岡→愛知→三重→関西→四国→中国→九州と周る予定。
ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!
岩手編 #2 てどの蔵となかほら牧場
岩手県岩泉町うれいら商店街。ここに「てどの蔵」という面白い場所があると連れて来てもらった。
炭焼き小屋
カップラーメンやバナナの炭のサンプルがあった。カップラーメンってすでにパサパサだと思っていたけど、こんなに縮むのね。
岩泉の祝炭
ペルーでもじゃがいもを乾燥させていたけど、ここ岩泉でも同じようなものを作っていた。あっちではそのままスープに入れて食べていたけど、こっちではすりつぶして団子にして食べるそう。地球の反対側に同じような文化があるのは面白い。
リセさんは世界中のほうきを集めている。
奥の蔵には糸紡ぎや機織りの道具が。毎週土曜日はここで地域のおばあちゃんたちが手しごとを教えてくれるらしい。いいなあ!
またゆっくり来てみたい。
さて、ここから延々と山をのぼり、たどりついた「なかほら牧場」。
100ha以上の広大な敷地に約90頭の牛が24時間365日自然放牧されている。そのため牛舎はなく、交配も分娩も哺育も牛まかせ。日本でこれだけの規模で山地酪農をしているところは他に類を見ない。
牧場長の中洞さんは実は母の友人の先輩でもあり、以前からずっと来たいと思っていたところ。今回せっかく近くまで来たので寄ってみたのだが、ここは標高700m以上あり、のぼるのはかなりきつかった。(まあ途中まで送ってもらったんだけど)
正午に着くと、ちょうど休憩時間だったようで、スタッフの方たちと話しているうちに話が盛り上がり、ごはんをごちそうになり、シャワーを浴び、「まあ泊まっていきなよ〜」ということで、泊めていただくことになった。
午後は中洞さんのジープで敷地を案内してもらい、山仕事をお手伝いしつつ、牧場づくりや森づくりについてお話を伺った。
牛が食べたり踏んだりすることで下草はなくなり、代わりに生命力の強い野芝が一面を覆い、大雨でも土壌の流出を防ぐことができる。人は牛が食べないエンジュやアジサイなどの草刈りをして手助けをするだけ。牛にとっても山にとっても人にとっても最良の方法。
仕事が終わるとスタッフや研修生も含めてみんなで大きなテーブルを囲み、大家族のように和気あいあいとごはんを食べる。今は夏休みの時期なので学生の研修生も多くいた。
翌朝は雨の中研修生に混じって牛追いと搾乳を体験させてもらった。
生産から商品づくり、流通まですべて自社で行っているため、品質管理にも余念がない。搾乳時に与えるおやつもすべて国産の大豆や麦、ビートペレットなど。
牛一頭一頭にも名前が付けられている。「幸せな牛からおいしい牛乳」と謳うとおり、ここの牛は幸せだろうなあと心底思うのでした。
突然の訪問にも関わらず、快く受け入れてくださった中洞さん夫妻とスタッフのみなさま、本当にありがとうございました!
【お知らせ】9月のお話会
来週に迫っていますが、9/14(木)の19時から、東京・西日暮里にあるフロマエカフェさんでお話会をさせていただくことになりました。
南北アメリカ大陸自転車縦断 女1人自転車旅と世界の持続可能な暮らし
平日の夜ですが、前回都合がつかなかった方もぜひいらしていただけると嬉しいです。(東京は今回が最後かな…)
9月後半からは西に向かいます。
9/23(土)は愛知県新城市にて、チャリダー×ハンターな3人のコラボイベント
そして翌24(日)は南知多の素敵なゲストハウス、ほどほどさんにてお話会。
ちなみにチャリダー3人で南知多まで走っていく予定です。
その後関西、四国、中国地方もゆるゆると周る予定です!またイベント等決まりましたらお知らせします〜