日本人移住地 ピラポ編
パラグアイに来るまではイグアス移住区しか知らなかったのだが、実は日本人移住地はあちこちにあるらしい。その中でも一番日系人の人口が多いのがピラポ移住地である。
到着早々、協力隊のCさんの紹介で、竹林を持っているというNさんのお宅を訪問した。屋根の下に木造の家があるという不思議な造り。実はここに農機具小屋を建てようとして屋根を建てたのだが、開拓当初に建てられた家は文化遺産級に貴重なものだから壊さないでくれ、と頼まれてこのような形になったというのだ。
開拓一世として50年ほど前にご両親に連れて来られたオヤジさん。原始林を伐り開き、家を建て、今も米と野菜はほぼ自給自足。
2町歩の田んぼはすべて手植えで、刈り取ってからはざかけ。
巷で話題のモリンガも!
ちっちゃい唐辛子とか
青じそ赤じそ
ヘチマ!!
ドラゴンフルーツってサボテンの実だったのねー
放っておくとこんな風に木に巻きつく
葉物もたくさん
しいたけまで!
裏庭には孟宗竹の竹林が。
そしてこのあと案内してくれたお知り合いのOさんの竹林は、パラグアイで探し続けた真竹の竹林だった。
実はパラグアイに来てからずっと真竹を探し求めていたのだが、アレグアでもイグアスでも見つけることはできず、半ば諦めていたところだったので、喜びもひとしお。
Oさんに聞くと、数十年前にブラジルから持って来た根っこを植えたのが、今ではこんなに立派な竹林になったそうな。昔はここから数十キロ離れたラパスという移住区で竹細工をしていたおじいさんもいたようで、Oさん宅にはその方が作った立派なざるがあった。しばらく使っていないので少しカビが生えていたが、しっかりとした作りだ。
せっかくだから何か竹細工を習いたい!ワークショップやってほしい!と盛り上がっているうちに、話はトントン拍子に進み、2日後に地元の方々を対象にワークショップをすることになった。
それから我々はひたすら黙々とひごとりをし続ける。結局その日はNさん宅で夕飯をごちそうになり、翌日もごはんをごちそうになった挙句、パラグアイに来てはじめてのお風呂もいただき、泊まらせていただくことになった。なんたるホスピタリティ。
作業の合間には息子さんと遊ぶ。
竹で作ったボウリングとわなげ。
食卓には採れたての野菜やごはんが並ぶ。最高のごちそうだ。
そして迎えたワークショップ当日。前日の告知だったにも関わらず、次々と人がやってきて、あっというまに40人近くに。
四海波という簡単なカゴを作るグループと指輪を作るグループの二手に分かれた。
地元の人もびっくりするほどの大盛況に
終わった。
ここピラポにはいわゆる「日本人宿」はないため、今回は町の中に2つしかない民宿のうちのひとつ、Los Inmigrantesを紹介してもらった。
オーナーのサダさんはパラグアイ人だが、5歳の時から日本語学校に通っているために日本語がペラペラ。娘のマリアちゃんも同様にペラペラ。二人とも彫りの深い美人さんなのに流暢な日本語を話すので、そのギャップがなんとも面白い。
サダさんもワークショップに来てくれた。日系人の中で、唯一のパラグアイ人だった。
その日の夜はサダさんファミリーにアサードをごちそうになった。
自動回転するパラグアイのアサード台
肉肉肉
タケノコのピクルス!
ここはレストランもやっていて、評判通りとてもおいしい。
中でもソパというパラグアイ料理は、今までもあちこちで食べていたが、サダのお義母さんの作るソパはだんとつナンバーワンだった。
デザートの手作りアルファフォレスも絶妙な甘さでいくらでも食べられそうだった。
アサードのあとは今回お世話になったCさんとサダさんと3人で夜遅くまで白熱した議論が続いた。
ひとつはピラポのこれからについて。
「ピラポの人には外の人を呼ぼうという気が全くないのよ。だから観光客にわかりやすいように地図を作ることもなければ、大きなお祭りも全て地域の人たちでお金を出し合って運営しているのよ。もっと外の人にお金を落としてもらえばいいのに。」
それは裏を返せば街の中だけで経済が回っているということ。お米も野菜もすべて地域の中で自給できてしまうから、わざわざ外から買ってくる必要がない。今世界各地で「地産地消」を謳い、それを促すために「地域通貨」などの仕組みが導入されていたりするわけだが、ここではすでにそれが成り立ってしまっているというのだから、それはそれですごいことだと思う。
だがそれでは発展していかないと感じているサダさん。だからここに宿を作って、もっといろんな人にこの場所を知ってほしいという。
日本人はとかく日本人同士で集まるのが好きだ。それは日本という島国気質によるものなのかもしれないし、異国の地において自分たちの文化やつながりを守る上で必要なことだったのだろう。でも「守る」ということは時として「排除する」ことにもつながるのだと感じた。パラグアイ人の人件費は非常に安く、彼らは「人夫」として日系人に雇われている。わたしにはどうもその「人夫」という呼び方がなんとなくパラグアイ人のことを下に見ているように思えて、ずっと気になっていた。それを話すと、2人も同じように考えているようだった。
パラグアイ人はすぐにゴミをポイ捨てする、時間に遅れる、約束を守らない、などとよく言われるけど、きちんとしているパラグアイ人もいるし、逆にわたしのようにだらしない日本人もいる。だから本当は〇〇人だからとかではなくて、個々人の問題なんだけど、私たちはついなんでもカテゴライズしてしまう。そういったイメージからもパラグアイ人を下に見る傾向ができてしまうのかもしれない。
「日系人は野球だとかソフトボールだとか日本人会の集まりだとか、とにかく日系社会の行事ごとに忙しすぎて、何か誘っても断られてしまうの。日本人会のイベントにはわたしたちパラグアイ人は参加できないし、わたしはもっと日本の文化を知って日系人と交流したいけど、とても大きな壁を感じるの。」と寂しそうに言うサダさん。
今回は急だったこともあって仕方なかったけれど、本当のことを言うとわたしもワークショップには日系人だけでなくパラグアイ人も一緒に参加してくれたらいいのにと思っていた。そんな中、サダさんが唯一のパラグアイ人として参加してくれて、わたしはとても嬉しかった。でもサダさん自身はすごく恥ずかしかったらしい。
せっかくパラグアイにいるのだから、もっと彼らと話したいし、彼らのことを知りたいと思った。だがそれはなかなか難しいようだ。Cさんもその点はかなり苦労しているらしい。
パラグアイ人と日系人の間の垣根がとっぱらわれたら、もっと新しくて面白いものが生み出されていくような気がする。
サダさんがやっているレストランと民宿、とってもおすすめです。
Los Inmigrantes Posada y Restaurant
パラグアイ ピラポ
+595 768 245 302
https://goo.gl/maps/V9DzsYKNeCx