兵庫〜岡山編 ひとり旅からふたり旅へ 西粟倉「元湯」と「ようび」
姫路でひろちゃんが合流し、しばしのふたり旅に。
お昼ごはんはたこ焼き3種セット。1つ買うつもりがセット戦略にまんまとハマって3つ買ってしまいましたよ。
そして岡山県に突入。
宮本武蔵の生家近くを通る(実際の生家は火事で焼けたらしいけどここで生まれ育ったらしい)。
ちなみに最寄りの駅名も「宮本武蔵」。
そして辿り着いたは西粟倉元湯。
元旅館だった建物をリノベーションした日帰り温泉、ゲストハウス、カフェの3つの顔を持つオサレ空間。温泉を沸かすのは西粟倉の間伐材を使った薪ボイラー。地域の中でエネルギーを循環させようと、軽トラで薪を持ってきたら買い取るという面白い取り組みなども行われている。
今夜はどこかで野宿をするつもりで、野宿スポットにはあたりをつけていたけど、外は寒いし明日から雨だというので閉館ギリギリまで時間をつぶしていた。奥の休憩室では地元の方が集まって会合をしているようで、にぎやかだった。
閉館時間となり、意を決して出発しようと荷物を積んでいると、会合を終えた人々に次々声をかけられる。
どっから来たんや?これからどこ行くんや?え!野宿?この寒いのに!?うちに泊まりな〜!その代わり明日ペンキ塗り手伝って!
そんなわけでありがたいことにあたたかい布団に眠らせていただくことになった。泊めていただいたのは西粟倉産のヒノキで家具作りをしている「ようび」の大島さん宅。1年半前に火事で全焼してしまった工房を、「ツギテプロジェクト」という形でいろんな人が参加できるワークショップ形式で建て直していて、翌日はちょうどペンキ塗りの日だというのでお手伝いさせてもらうことになった。
朝からおいしいごはんをいただき、大島家のアイドル・ももちゃんのダンスショーを鑑賞するという贅沢な時間を過ごす。現場に向かう途中、我々の荷物を倒れないように管理してくれているガードマンのももちゃん。かわいすぎる。
現場に着いたらパリコレばりのオサレファッション(ゴミ袋)を身に纏ってペンキ塗り開始。
コンパネに白いペンキをひたすら塗り塗り。これは工房の壁になるそう。
お昼ごはんをいただきながら自己紹介。みなさんのものづくりに対する熱い想いがとても素敵で、あたたかくて心地いい時間が流れていた。スタッフのみなさんが作ってくれたごはんもすっごくおいしくて食べすぎた。
大島さんはじめ「ようび」のみなさん、ありがとうございました!
ツギテポーズでパシャリ。フレミングの法則を思い出す。
もう少しいたかったけど、次なる目的地を目指して出発。また来ます!
兵庫#4 塩となたね油だけで革をなめす!?姫路の白なめし
「姫路の白なめし」の存在を知ったのは2年ほど前のこと。
なめすは漢字で書くと「鞣す」。つまりそのままでは腐敗してしまったり、硬くなってしまう「皮」を、いろんな手法や薬品を用いて、保存性があり柔らかくて使い勝手のいい「革」にすることを指す。昔は脳みそを使ったり、燻したりといろんな手法が用いられていたが、現在はタンニンなめしやクロムなめしが主流となっている。そんな中にあって姫路の白なめしは天日塩となたね油しか使わないというのを読んで衝撃を受け、姫路に行く機会があったらぜひとも見てみたいと思っていた。
そんな折に先日徳島でトータスのかめちゃんと奇跡の出会いを果たし(白なめしと藍染のコラボ作品を見せていただいた)、何か運命的なものを感じて姫路に向かった。
姫路の白なめしはこの地域独特の気候風土によって作り上げられる。川に浸けられた皮は、そこに棲息する微生物の働きで毛穴がゆるみ、脱毛しやすくなる。塩を揉みこんだあとはカラカラになるまで乾燥させるのだが、それも晴れの日が多いこの地域だからこそなせる技。
昔はこの地域一帯で行われていたが、今や白なめしをされているのは新敏製革所の新田眞大さんただひとり。誰も教えてくれる人がいなく、いちから全部試行錯誤しつづけているという。
新田さんに会って、自己紹介も早々に言われたひとこと
「で、君はこれからどうなりたいの?」
にたじろいでしまったが、今の自分が思っていることを素直に話した。
そして新田さんはお忙しいであろうに、結局ほぼ丸一日わたしに付き合ってくださり、白なめしの技術的なことだけでなく、ものづくりをする上での心構え、ひいては人生において大事なことをたくさん話してくれた。
新田さんと話していく中でわたしのやりたいことが見えてきたような気がする。
「ただがむしゃらにやるのはだめだ。ちゃんと頭で考えてから、でも実際にやってみないとわからない。」
「ものづくりをする上で失敗はない。これをこうするとこうなる、というのがわかったのであって、それが例え役に立たないものだったとしても、それを捨てずに取っておけば失敗にはならない。」
わたしは今まで自分は飽きっぽいから職人にはなれないと思っていた。でもそうじゃない。飽きっぽいのではなく、いろんなことに興味がいってしまうのだ。あれもこれも全部やりたい。もっと見たいもっと知りたい。今まで本気度が足りなかった。本気にならないことで逃げ道を作っていた。中途半端なままでは何も変わらない。
やっぱりわたしはものづくりがしたい。そんなことを強く思ったのであった。
コーヒー染めと藍染めされた革
兵庫編#3 まやさんまやさんにのぼる
小豆島からジャンボフェリーで神戸に戻り、先日もお世話になったおーやさんちに泊めていただく。浜松からのんちゃんも合流しにきてくれた。おかあさんは相変わらず面白くてやさしくて、今回もごはんを山盛り用意して待っていてくれた。
高校時代に友人から「摩耶山(まやさん)」という山が神戸にあると教わり、いつかは登ろうと思っていた。そんな話をポロッとしたらその場のノリで翌日登ることになった。
おかあさんとおとうさんに見送られ、
おーやさんとのんちゃんは電車とバスで、わたしはチャリで向かう。神戸の坂をなめていたら痛い目にあいました。
ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで摩耶山の山頂へ。
摩耶夫人が祀られている天上寺。摩耶夫人とはお釈迦様のお母様のことである。
中は撮影禁止だけど、立派な仏像が7体も並んでいてなかなか壮観だった。
新手の顔ハメもある
まやづくしを満喫し、そのあとはのんちゃんと神戸のkachuaさんという服屋さんへ。インドから仕入れたインディゴ染めの服がとってもかわいい。
はるみさんにかわいいハンカチをいただきました。わーい!
もう少しゆっくりしたかったけど、このあと70km走らないといけないのでお昼も食べずに出発。
夕暮れまでに姫路に着こうとペダルを踏みしめてガンガン飛ばす。
I biked 94.01 km with @mapmyride. Check out my route in Ashiya, 13, Japan! https://t.co/Zkj24NW6i0 #bike #cycling
— まやたろ@自転車日本縦断中 9カ国目 (@advencharider) 2017年10月25日
どうにか暗くなる前に目的地であるまささんのご実家に到着。突然現れた小娘を快く迎えてくださり、お父さんと般若心経からアフリカ人の価値観、そして中学生の時に見たという壮大な夢の話に至るまでいろんな話で盛り上がり、お母さんのおいしいご飯やお父さん手作りの玄米甘酒やヨーグルトをいただいた。まささんとご両親の関係性がとても素敵でうらやましかった。わたしももっと信頼してもらえるように、自分の想いをちゃんと伝えよう。
香川編 まぼろしのフェス
はじめて小豆島に来たのは5年前。あの頃はまだ会社員をしていて、日々の仕事に嫌気が差し、愚痴ばかりこぼしていた。そんなある日、大学時代の先輩に電話したら「俺の知り合いが小豆島でオモロイことやってるから行ってみれば〜」と言われて行ったのがことのはじまり。
小豆島は大きすぎず小さすぎず山も海も川もあるし、昔ながらのやり方で作られる、木桶仕込みの醤油や手延の素麺、そして温暖な気候を活かしたオリーブの栽培などの産業がある。食材が豊富で新鮮だから何を食べてもとってもおいしいし、何よりもその時に出会った人たちが本当に素敵で、すっかり小豆島の魅力に取り憑かれたわたしは、それからというもの、夜行バスとフェリーを乗り継いで会社から直行直帰で年に4−5回来ていた。
今回小豆島にやってきたのはいつもお世話になっている友人が企画した「風が吹いてきたよ」という音楽フェスに参加するため。そして準備からお手伝いしようと早めに乗り込んだのであった。ところがどっこい、直前になって台風21号という想定外の風が吹き、イベントは結局中止になってしまった。わたしも規模は違えどイベントを主催する立場を経験してきたから、これがいかに勇気のいる決断であったことか、そして長いことかけて準備をしてきたことが無に帰してしまうという虚しさや悲しさがいかほどか、想像に難くない。だからこそわたしは予定通り行くことにした。
イベントは幻に終わってしまったけど、そのぶんゆっくりといろんな人に会ったり、おいしいもの食べたり、染め物したり、ゆったりとした時間を過ごすことができた。
どこをどう切り取ってもオサレにしかならない空間、HOMEMAKERSの自家製野菜をたっぷり使ったカレー。おいしいに決まってる。
そして台風が去った翌日にはやっと小豆島をサイクリング。
ヤギを飼っているじゅんこさんと一緒にヤギのエサを取りに行ってお世話をした。前回よりもヤギが増えてて驚いた。親子で勝手に繁殖してしまって困っているらしい。ただでさえ忙しい中でヤギ7頭のお世話…本当に大変そうだけど、ヤギにかける愛情はとてつもない。わたしの悩みを相談したら、じゅんこさんはいつもビシッとしたことを言ってくれるので身が引き締まる。
それから、超絶おいしいお素麺を作っている真砂喜之助製麺所へ。ここの素麺を食べたら他は食べられなくなっちゃうので注意。お素麺もおいしいけど素麺を伸ばす前の「こびきうどん」がめっちゃうまい。まさごさんによると「生こびき」は更にうまいけど小豆島にいないと入手困難らしい。
台風で屋根を修理していたまさごさんがなんと案内をしてくれるというのでドライブへ。絶景ポイントに連れて行ってもらった。
大塚家には本当にいつもいつも大変お世話になっていて、今回も毎日ちほさんのおいしいごはんをたくさんいただいて幸せだった。愛犬のナミちゃんは昔飼っていた犬に言動がそっくりで(食い意地張ってるところとか)見ていて懐かしい気持ちになった。もうじき新しい家族(ヒト)が増えるようなのでとても楽しみ。
台風の日にはちほさんとべんがら染めをした。新しく生まれてくるヒトのためのガーゼタオル。なんか思ってたのと違うかんじになってしまったけど…
ずっと会いたかったヤーミンにも最後に会えてよかった。いつもFacebookで見ていて勝手にファンになっている辰巳家の4人の子どもたちにも会いたかったけどこの日は学校で会えず。また来なきゃ。
その土地の魅力って景色とか食べ物とか文化とかももちろんあるけど、何度も足を運びたいと思わせる理由はなんといっても「人」だと思う。「この人にまた会いたい!」と思えるような素敵な人がたくさんいるから、わたしは何度もこの島に来るのだろう。今回会えなかった人もいるのでまたあそびに来たいな。
徳島〜香川編 おいしすぎる四国
徳島には個人経営のイケてるお店がたくさんある。銀座一福という徳島ラーメンのお店では、笑顔の素敵な奥様が出迎えてくれたし、ウッドアイビスという喫茶店の新居さんにはすっかりお世話になって結局雨の降る中宿がなくて困っていたわたしをかくまってくださった。スミヨシ四丁目コーヒースタンドはオーナーの石くんが豆からこだわったコーヒーや幸せになれるモーニングを提供してくれる。どれも自転車仲間のまささんに教えてもらったまさ子ース。何がいいってここには素敵な人がいる。そして素敵な人のいるところには素敵な人が集まってくる。
名残惜しくも徳島を後にして、うだつの町並みが残る美馬へ。
今日は道の駅に泊まることにしたのだが、お腹がすいたので近くのカレー屋・マハラジャスパイスさんへ。これが大当たり。カレーを一種類頼むとサラダやごはん、ナンが食べ放題。ナンはなんと20種類近くあって注文してから焼いてくれる。
翌日は香川県に突入。ずっと行きたかった仏生寺温泉は想像通りオサレな空間で、泉質も気持ちよかった。
そして香川に着いたからには食べずにはいられないうどん。結局3軒はしごしてしまった。
はちきれんばかりの腹でフェリーに乗り込み、次なる目的地・小豆島へ向かう。
徳島編 #3 阿波藍の世界
なんという奥深い世界なのだろう。一歩足を踏み入れた途端、鳥肌が止まらなかった。何か言葉を発するのもはばかられるほど神々しい空間。江戸時代から現在まで脈々と受け継がれてきた「すくも」づくりが行われる「寝床」と呼ばれる土蔵である。写真や言葉では伝えきれない匂い、熱量、そして圧倒的な空気感。
今日は1日どっぷりと藍の世界に浸った。「藍の館」で藍の歴史やすくもができるまでを学び、藍染体験をし、そして新居製藍所へ向かったのであった。
すくもを作るためには、刈り取った藍の葉を乾燥させて、水をかけながら数日おきに切り返し、堆肥状になるまで約100日間かけて発酵させる。種まきから約300日。たくさんの時間と労力をかけて、藍の成分が凝縮されていく。
これに樫の木灰を加えてアルカリ性にし、さらに微生物の動きを活発にさせるために日本酒やふすまを入れて適温を保ち、数日間発酵させてようやく染められるようになるそうだ。
都留の佐藤文子さんもこの新居さんのすくもを使って藍を建てているそう。
現在すくもを作っている藍師さんは新居さんを含めて世界に5人しかいない。温度や湿度、匂いなどから発酵具合を感じ取り、水打ちや切り返しを調整する。経験に基づいた職人技。
もうただただ圧倒されっぱなしだった。
こんな貴重な場に居合わせることができたのも、新居製藍所で働くJOさんと、JOさんを紹介してくれたレキさんやまささん、そして佐藤文子さんのおかげです。本当にありがとうございます。
1日アテンドしてくれたJOさん、本当にありがとう〜!!
すくもや藍についてわかりやすく解説されているサイト。知れば知るほど面白い~!
http://www.blue-edge.jp/04_life.html
徳島編#2 みなみの町でハマチ釣りに
徳島県美波町。ウミガメと水平線が見渡せる美しい海のあるこの町にこの夏から移住したののくんが、仕事の合間をぬって案内してくれた。
その流れで地元のおっちゃんたちと飲むことに。猪鍋とカメノテをつまみながら話に花が咲く。
お二人とも元サーファーというだけあってかっこいい。クニ舛田さんは農家民宿のオーナーであり、有名ブロガーでもある方。
ウェイン浜口さんは造船所、釣具屋、干物やなど7つの顔を持つ方。毎朝ハマチ釣りに出かけているというので翌朝連れて行ってもらうことに。
夜明けとともに出発。
小型のモーターボートから釣竿を両側に伸ばし、船を走らせながら釣るスタイル。ポイントに着いて早々に2本かかった。あっという間の出来事で何が起きたか分からなかった。慣れた手つきでハマチを引き上げる浜口さん。かっこいい。
いつもは10本以上釣れるらしいのだけど、この日は最初にかかった2本のみ。「まやちゃんが乗っとるけん、ハマチが恥ずかしがっとるんかな〜」と浜口さん。ごめんなさい 笑 でもすっごく楽しかったです。
帰り際にはえびす洞にも寄ってくれた。潮に削られて出来た無数の穴。自然の力はすごい。
朝ごはん食べていき〜、と帰ってきて早速ハマチの刺身をいただいた。釣りたては硬すぎるからと前日とって冷蔵庫に寝かせてあったのを浜口さんが見事な手さばきでさばいてくれた。
前の日のお酒が残っていたせいであまり食が進まずざんねん。また食べたいな。
徳島のお遍路文化、よそ者や旅人も受け入れてくれる懐の深さ、本当に居心地がいい。
徳島編 #1 藍に染まる
藍染めと言えば阿波、徳島。
阿波藍の歴史は古く、平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったという。徳島を東西に流れる吉野川は度々洪水を起こす暴れ川として知られていたが、その氾濫によって流域には肥沃な土が運ばれ、藍作を可能にした。江戸時代には徳島藩が藍の生産を保護したために隆盛を極め、その品質の高さから阿波の藍を「本藍」、その他の地方の藍を「地藍」と区別されたほど。
ぜひとも本場の藍染めを見てみたい。しかし、淡路島と徳島をつなぐ大鳴門橋もまた、自転車で渡ることはできない。今月から土日祝日限定で自転車の輸送サービスがはじまったようだが、平日はどうしようもない。
大鳴門橋の自転車輸送始まる 淡路-徳島が周遊可能に | Koroブロ
ヒッチハイクするかどうするか、と考えていたところ、なんと岡田さんが
「明日は雨だし、休みだから送ってあげるよ〜。まだ徳島も行ったことないし。」という神様のような言葉をかけてくれたので、お言葉に甘えることにした。(お言葉に甘えてばかりです)
海陽町でinBetweenBlues ~Oceanview indigo studio~というお店を営む永原レキさんの元まで送っていただいた。レキさんはプロサーファーでもあり、藍染のサーフボードなども作っている。
今日は雨だし、どっか屋根の下でテント張れたらいいな…と思っていたら、なんとレキさんが「かめちゃんのところに泊まれるよ。ごはんも用意してくれるって」と言ってくださり、かめちゃんの元へ。かめちゃんというのは近くの【トータス】という会社で藍染研究に明け暮れている専務さん。かめちゃんと聞いて勝手にカメ仙人に脳内変換されていたのだけど、出迎えてくださったかめちゃんはとても上品でかわいらしくて素敵な奥様だった。
夕飯の時にこれからどこに行くのか、という話になり、たまたま姫路の話題が上ったので、
「塩となたね油だけでなめす、姫路の白なめしというのが前から気になってて、そこに行こうと思ってるんですよね~」
と何の気なしに話したらなんとびっくり、
「この前そこに行ったわよ!」
とかめちゃん。さらに驚くべきことに、ちょうど数日前に完成したという藍染×白なめしのファーストシューズを見せていただいた。これがもう本当に美しくてかわいらしくて、タイミングといい、すべてが奇跡のようだった。
トータスではすべて無農薬で藍を栽培していて、かめちゃんは藍をもっと身近で手軽なものにしようと、化学薬品を使わず、身の回りにあるものでよりいいものを作れるよう日夜研究に明け暮れている。
そんなかめちゃんオリジナルの「あまべ染め」のネックウォーマーをいただいた。
「ここに来る人はみんな素敵な人ばかりなのよ。この年になって好きなことやらせてもらえるのはみなさんのおかげなの。本当にありがたいことだわ。」とかめちゃん。
かめちゃんが素敵だから素敵な人が集まってくるのだと思う。
かめちゃんも、周りの人たちもみんな愛に溢れていて(藍だけに)、今も思い返すだけで気持ちがじんわりと温かくなる。
兵庫編 #2 おのころ島
塩屋の町を後にして淡路島へ渡る。明石海峡大橋は自転車で渡ることができないため、明石から出ているフェリーを使う。
淡路島は近年サイクリングブームらしく、フェリーには自転車ラックがたくさん。西側は比較的車通りも少なく、走りやすいそうなので西側を走ることにした。
淡路島は別名「おのころ島」とも呼ばれる。
伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった[1]。
地創塾同期の岡田さんのお宅へ。前回会った時はまだ奥さんのおなかが大きかったのに、そのおなかの中にいたヒロくんがすっかり大きくなっていて時の流れを感じずにはいられなかった。
わたしが来るからと言って近所のお友達に声をかけてくれていたようで、着いた日の晩は持ち寄りご飯会に。
今年の春に淡路島に移住した岡田さん。現在は鉄の平釜で海水を薪で焚く昔ながらのやり方で、社長さんと二人で塩作りをしている。
塩作りの現場を見せてもらった。残念ながら社長さんには会えなかったが、岡田さんがシミュレーションしてくれた。
海水をポンプで汲み上げてタンクに貯め、逆浸透膜で細かいゴミなどを取り除く。
鉄の平釜でひたすら海水を煮詰めていく。
下にカルシウムなどがたまるので時折除去。
海水を焚き始めて40時間、煮詰めた液をこの杉樽に移して塩(固体)とにがり(液体)に分ける。
網でふるい、ピンセットで異物を除去してようやく塩が出来上がる。
お昼を食べてあわじシェアホースクラブ | 淡路島で乗馬体験 |へ。風月くんというお馬さんが出迎えてくれた。
「くらしに馬を」というコンセプトで、馬合宿や"馬場BAR"という馬を見ながら飲めるBARなどをしている。
実はわたしの前の職場で飼っているコータローがこの春馬耕をしに来たと聞いてびっくり。馬業界狭いですね。
ノマド村は廃校を活用したシェアオフィスやオープンスペース、カフェなどの空間。
このアイスクリームがめちゃくちゃ美味しかった。
夜はヒロくんも通う森のようちえん「まんまる」 in 淡路島マンモスを運営しているあじめちゃんちへ。ハモ鍋をつつきなから旅の話に。
みんなが寝た後もあじめちゃんとサシ飲み。あじめちゃんも何度かアフリカに行ったことがあるようで、その中でもアフリカの人には「今」しかないっていう話がとても面白かった。彼らは昨日の話とか思い出話もしないし、死がとても身近で3ヶ月後にお互い生きてるかなんてわからないから、会いたい人には今すぐ会いにいくという。働いてお金を貯めるとか、いい会社に入るため、いい大学に入るためにがんばって勉強するっていうのは未来のための投資だけど、彼らは「未来のための今」じゃなくて「今のための今」を生きてるっていうのを聞いてすごく納得した。そしてアフリカに行きたくなった。
行きたいところがありすぎて一生じゃ足りないぜ。
淡路島の面白い人や場所につないでくれた岡田ファミリー、ありがとうございました!また来よっと〜!
兵庫編#1 旧グッゲンハイム邸
神戸と明石の中間に位置する、塩屋という海沿いの町。
この町に建つ築100年の洋館、「旧グッゲンハイム邸」を管理する音楽家の森本アリさんに塩屋の町、そして旧グッゲンハイム邸を案内していただいた。
アリさんがこの洋館を管理するに至った経緯は下記の記事に詳しく書かれているのだが、わたしはこの中の「変わらなくていい、これ以上求めなくていい」というアリさんのスタンスにとても共感して、ぜひお会いしてみたいと思ったのだった。
https://greenz.jp/2015/02/27/alimorimoto/
元々企業の研修施設として使われていたのが取り壊されそうになったところを、アリさんのご両親が購入し、現在は平日はヨガや音楽教室、休日はライブ会場や結婚式場として使われている。
この日も土曜日だったので結婚式の準備の真っ只中だった。
2階からは海が望める絶好のロケーション。
裏にはアパートやシェアオフィスもある。
塩屋の町は阪神大震災の時も比較的被害が少なかったために、周囲のように大規模な復興工事が行われず、未だに古くからの町並みが残る。海に面した急な坂や、入り組んだ細い路地は以前訪れた尾道を彷彿とさせる。
そんな細い路地の中にある商店街を進んでいくと、ナポリピザのお店やカレーやさん、八百屋さんや豆腐やさんなどが所狭しと並ぶ。
商店街を歩いているとちょうど明日旧グッゲンハイム邸で結婚式を挙げるというカップルにばったり遭遇。
田仲豆腐店という豆腐屋さんは気前が良くて前を通ったら揚げたてのお揚げをたくさんくれた。
ちなみに厚揚げを棒状にした「豆腐スティック」は、地元の小学生の授業で共同開発した商品らしいのだが、これがもうめちゃくちゃおいしくて。前日飲みすぎて胃もたれ気味だったのに思わずパクパクと止まらなくなるほど。おみやげに買って帰ったらこれまた袋いっぱいにサービスしてくれた。
山盛りサービスしてくれたのに美味しすぎて気づけば残り一本に。
おじさんは種子島出身らしく、わたしが自転車で日本を周っているという話をしたら、
「だんなはいるのか?俺の甥っ子が種子島で大工をしているし、年も同じぐらいだからちょうどいい。会いに行きなさい。」とすすめられた。
(…種子島まで行くか…)
塩屋はとても魅力的な町でした!
お忙しい中案内してくださったアリさん、つないでくれたMOTOKOさん、ありがとうございます!!