聖なる山の周りを歩くとエゴは消えるのか
アリスの禅問答のおかげですっかり心の準備が整った(ような気がした)わたしは、早速アスファルトの上を裸足で歩きはじめた。聖なる山アルナーチャラの周り14kmを、山が常に右にあるように、時計回りに歩くのがルール。裸足でも靴を履いてもいいらしいけど、ここは裸足一択。靴はあえてスタート地点であるラマナアシュラムに置いてきたので、もう後戻りはできない。
高校生の頃は少林寺拳法部に属し、唯一の校則であった「上履きを履く」すら守らずに、常に裸足で校舎を走り回っていた野生児のわたしも、あれから15年以上が経ち、それなりに常識というものをわきまえたつまらない大人になってしまったため、こうして公衆の面前で堂々と裸足で歩くのはなかなかない体験だった。
ここティルヴァンナラマイの歩道は、巡礼の人が多いせいかびっくりするほどきれいに掃かれている。それにしても15年分のブランクは思った以上に大きく、画鋲を踏んでも大丈夫なほどに鍛え上げられていた鉄骨の足裏は、1ミリ角の小石すら敏感に感じ取ってしまうほどヤワになっていた。だから顔は平静を装っていても、頭の中は痛い痛い痛いでいっぱいで、その度に「いかんいかん、今に集中、一歩一歩、目の前の一歩」と言い聞かせるのだった。
サルとか人とかいろいろいる
それでも今に集中できないわたしは気持ちがあちらこちらにブレてしまう。はじめの数キロはストイックにひたすら一歩一歩を噛み締めていたが、そのうち籐の椅子を編んでいる現場になんて遭遇してしまったもんだから、「もういいや、何事も楽しまないとね♪」なんて早々にストイックモードは切り替えて、椅子編みのおばちゃんの美しい佇まいに見惚れてしまうのだった。
そのあとも
大豆を脱粒している人たち
謎のお菓子を作っている人たち
謎のゲームに興じる人たち
などに気を取られまくっていたら道に迷って変なところに出てしまった。歩きやすい正規の歩道と違ってでこぼこの砂利道。いちいち痛い。
どうにか元の道に戻り、時計を見るとすでに16時。18時には日が暮れるので暗くなる前に戻りたいところだけど、このペースだと間に合わなさそう。もうもはや瞑想とかエゴがどうとかでなくて、いかに早くかつ足裏に負担をかけないで歩くかを考える。ここにきて変に力を入れていたせいかふくらはぎの脇も痛くなってきた。はたから見たら相当おかしな歩き方になっていただろうけど仕方ない。
ようやく半分を過ぎたところでちょうどいいかんじのスタンドがあり、吸い寄せられるようにして座る。頼んだタコ焼きのようなものがとっても美味しかった。
足が痛いと言っていたら、「あそこに靴下売ってるよ」と向かいの店を指すお兄さん。一瞬心がグラついたけど、いやいやもう少し頑張ろうと気合いを入れ直して再度出発。
ゴールまであと数キロ。徐々に街中に入り人も車も多くなる。歩道もなくなり足はますます悲鳴を上げる。そんな時に現れたのが靴屋さん。まるで試されているかのようなタイミングで思わず笑ってしまった。
徐々に日が傾きかけてきた。残り2km。焦る気持ちとは裏腹に、これ以上早くは進めない。じわじわと、でも確実に一歩一歩歩みを進める。結局は目の前の一歩の積み重ねしかないのだ。
最後のお寺が見えてきた。
ここにきて自分の感覚がいろいろと覆されるのを感じた。汚いと思っていたインドの道は存外にきれいで、裸足で歩くとちょっとした段差や小石にもよく気付く。自転車に乗っていたときもガラス片や段差には常に気をつけながら走行していたけれど裸足の比ではない。今までなら水たまりに裸足で突っ込むのはどうにも抵抗があったのだけど、入ってみたら意外と気持ちよくて、むしろ汚かったのは自分の足裏とそれを汚いと思っていた自分の心で、それすら洗い流されていくような感覚を覚えた。トイレでお尻を手で洗うのもはじめは抵抗があったけれど、やってみるとなんて快適で合理的な方法なのだろうと感心する。自分の中にまだまだ眠っていた固定概念や常識がインドでは次々と掘り起こされるようだ。まるで取り残した芋のように。
さあゴールは目前。靴を置いていたラマナアシュラムに着く頃には薄暗くなっていた。ひとり静かにゴールをし、放心状態で座り込む。
ペラペラのビーサンの安心感たるや半端ない。これさえあればどこにでもいける気がする。
何度もリキシャーを呼んでギブアップしたい気持ちに駆られたが、その度に右を見ればアルナーチャラがいつも見守ってくれた。その安心感は半端なくて、聖なる山と崇められるのもわかるような気がした。誰が見ていなくとも、自分とアルナーチャラが知っている。そしてこの足裏の痛みこそがここを歩いた確かな証なのだ。
エゴは消えなかったけど、気付きの多い一日だった。
ありがとうアルナーチャラ。