ニャンドゥティの町、イタグア
「ニャンドゥティ」というパラグアイのレース編みをご存知だろうか。
先住民の言葉であるグアラニー語で「蜘蛛の巣」の意味を持つニャンドゥティ。近年は日本でも紹介され俄かに人気となっている。
もともとスペインから伝えられた時は白一色だったが、その後草木染めでいろんな色に染められ、今では化学染料で色とりどりに染められた糸が使われている。
イタグアの街に降り立ち、通りを歩くとニャンドゥティのお店がちらほら。
すべてニャンドゥティでできたドレスは、パラグアイの伝統的なボトルダンスやアルパの演奏時に使われるらしい。
つづいてIさんの紹介でクリスティーナさんというニャンドゥティのベテランの方のお宅へ向かった。
パラグアイに来てはじめて馬車を見かける。
そろそろこの辺かなー、と思いながら歩いていたら一人の女性に話しかけられる。
「Hola!どこへ行くの?」
「あ、クリスティーナさんのお宅へ。」
「わたしがクリスティーナよ。」
ちょうどクリスティーナさんはお出かけするところだったが、私たちを連れて再び家に戻ってくれた。
そして次から次へとニャンドゥティの作品を引っ張り出して来てくれて、あっというまに机の上はお花畑に。
奥からクリスティーナさんのお母さんのシンドゥルファさんも出て来た。シンドゥルファさんは国からも表彰されるほどの腕の持ち主で、90歳を超えた今も現役のニャンドゥティ作家。ミシン糸のような細い糸を使って繊細かつ洗練されたニャンドゥティを作られる。
あまりにも美しい手仕事。ニャンドゥティを俄かにではあるがはじめたからこそ、これがどれだけの手間ひまがかけられているのかがよくわかる。いくつか見せていただくつもりが、あれもほしい、これもほしいとなって気づけばたくさん買っていた。
私たちは日本で竹細工をしているんです、と言っていくつか竹製品を見せた。
小さな四海波を見せたら、シンドゥルファさんが「キャッキャッキャッ」とまるで少女のように笑った。その様子があまりにもかわいらしくて、そのかごをプレゼントしたら、嬉しそうにしてくれた。
クリスティーナさんは用事があるというので、娘のマリアさんが相手をしてくれた。
「あなたもやるの?」と聞くと、
「わたしは嫌いよ。だって大変な仕事だもの。」とマリアさん。
実際にお母さんやおばあちゃんがやっているのを目の当たりにしているからこそ、その労苦もわかるのだろう。そうは言ってもこれだけ美しい技術が途絶えてしまうのはなんとももったいない気がする。
わたしに教えてくれている先生も言っていたが、ニャンドゥティはこちらの若者にはぜんぜん人気がないらしく、やっているのはおばあちゃんばかり。どこの国でもそうだが、こうした伝統工芸だけで食べて行くのは難しいし、何よりも手間暇がかかる地味な仕事をやりたがる若者は少ないのだ。
わたしもせっかくなので本場のニャンドゥティを習いたいと思い、いろんな糸と刺繍枠、布などの道具を揃えた。
今回は滞在中にイタグア出身の近所のセニョーラに毎日マンツーマンレッスンをしてもらった。
まずは布に図案を描き、それに沿って縦糸を張っていく。
ニャンドゥティの技法は基本的に二つだけ。
上下上下、と交互に縦糸を拾って行くもの。
そして一本一本の縦糸に編み糸を結びつけて行くもの。
たった二つの技法だけど、その組み合わせや配色の違いによって、あれだけさまざまなモチーフを作り上げている。そのシンプルさと奥深さがなんとも面白い。
モチーフが出来上がったら、糊付けをする。
使うのはマンディオカというこちらで主食として食べられる芋のデンプン粉。
(マンディオカはアフリカではキャッサバ、アジアではタピオカと呼ばれるがすべて同じもの。)
これを水に溶いたデンプンのりにしてモチーフの両面によくすりこんでから乾かす。
乾いたら布から外して出来上がり!
糊付けすることで布から外しても形が崩れないのだ。おもしろい。
今や本場パラグアイよりも、むしろ日本の若い人たちの間で人気が出ているニャンドゥティ。素敵な作家さんたちもたくさん出て来ている。
#ニャンドゥティ で検索するとすごい数の作家さん達がいる。
パラグアイでもニャンドゥティの魅力に気づく若い世代がもっと増えて、こうした文化や技術を継承していけるような仕組みができればいいなと切に想う。