小屋作りとはじめての入院
パラグアイに行く前に大分を発ってから早4ヶ月あまり。ひさしぶりに来た大分の家は変化に富んでいた。
草が生い茂り、畑には夏野菜が植えられ、オスのニワトリは死んでしまっていたけど、新しい命がたくさん産まれていた。
ひよこは全部で14羽!
そして今回のメインイベントは小屋作り。
構想から足掛け2年以上にわたる本小屋作りが遂に現実的にスタートしたのだ。
設計図をひき、大量の穴あけをするのにとても苦労したというM本氏。
「あとは組み立てるだけだから、順調に行けば1−2時間で終わるんじゃないかなー?」と言う。さてさてどうなることやら。
さあ、いよいよ組み立て開始!
と思いきや、高さが全く合わない。
ひとつひとつの基礎石の高さが違うために、柱の長さで調節する作戦だったのだが、プラスとマイナスを取り違えてちくはぐなことになってしまったようだ。
というわけで、再度水糸を引き、高さを測り直すところから。
近所の友人、けんちゃんも手伝いに来てくれた。
新たに測った高さに合わせて、再度材料を切り直す。
そして今度こそ…
無事に柱を建てるところまでできた。
つづいて屋根の横に渡す梁をあげる
どうにか本降りになる前にこの日の作業は終了。
ちょうど作業をはじめた数日前から九州も遅い梅雨入りになり、連日のようにシトシトと(時にバケツをひっくり返したようにバシャーンと)雨が降るので、その合間を見て作業をすることになってしまった。
2日後、雨が止んだので大まかに建ててしまった柱の垂直を直す。水平器とにらめっこしながら、叩いたりひっぱったり。
垂直と水平も直ったところで、2階部分にとりかかる。
(ここから写真がありません)
今まで以上に重い柱を持ち上げ、梁の上にのせてから、慎重に高さ3m近くの梁の上を歩く。
4本中3本の棟上げを終え、足場板を移動させ、最後の桁を柱にのせようとした時だった。(たぶん)
前後の記憶が曖昧だが、気づけばわたしは地面に横たわっていた。
後から聞けばどうやらわたしは座ったままの状態で、後ろ向きに落下していったらしい。
ヘルメットをしていたが、それも落下の衝撃で外れて、近くに転がっていたという。
見上げると知らない人たちの顔、そして背後には小屋の骨組みのようなもの。
「あれ、わたしワークショップやってたんだっけ?」と混乱するわたし。
(以前そういう仕事をしていたもので…)
今自分がどこにいるのか、なんでここにいるのか、全く見当がつかない。
救急車に担ぎ込まれ、搬送される途中で徐々に記憶が戻ってきた。
あれ?なんかこの状況、知ってる…
そう、なにを隠そう頭を打って意識をなくすのはこれで3回目なのだ。
1回目
2回目
さすがに3回目ともなると、痛みはあるものの、「ああ、またか」とどこか冷静に状況を見つめている自分もいた。
病院に付き、レントゲンやCTを撮られる。
「異常はありませんが念のため入院しましょう」と言われる。
前回は未遂に終わったが、今回こそ本当の入院だ。
スマホもない、本もない。時計もないので今が何時なのかもわからない。
寝返りを打つたびに痛みが走り、まだ夜は明けないのかと、何度も何度も空に訊いた。
ながいながい夜だった。
それにしても、わたしは今回もラッキーだった。
もし打ち所が悪ければ、こんな怪我ではすまなかったかもしれない。
今日も生かされている。まだやるべきことがある。
この怪我の意味をちゃんと考えて、痛みと向き合って、明日からまた、がんばろう。